辛亥革命後、旗袍を着る人の数はかなり減りました。
1924年、ラストエンペラーの溥儀は紫禁城から追放されました。
1920年頃、新文化運動の潮流で美的欲求が人々にめばえ、若い世代は前例のない無邪気さ、安らぎ、喜びを示しました。この間、上海を中心とした女性向けメイクアップの新舞台が静かにつくられていきました。
1910年代から1920年代初頭にかけて、都会の女性には「文明化された新しい衣装」(文明新装)の時代がありました。この「文明化された新しい衣装」とは、留学中の女子学生や中国の宗教学校の学生が最初に着用したものでした。
都会の女性はその衣装をファッショナブルと思って真似しました。
1920年代に共通する点はラッパ袖(Aライン袖や倒大袖とも)です。これは前提です。
民国旗袍の誕生をツーピースから説明するか、ワンピースから説明するかは難しいもんです。通説のツーピースにたいして、ワンピース説の可能性を示唆します。
文明化された新しい衣装:旗袍風ジャケット
ツーピース上衣としての旗袍
旗袍風ジャケット(またはベスト)では、トップスはウエストが狭く太めのジャケットがほとんど。裾の長さは肘丈で、フレアになっています(Aライン)。袖が短いので肘や手首が露出していました。袖口はだいたい17.8cmで、逆袖といいました。
裾はほとんど円形で、やや装飾が施されていました。スカートはプルオンスタイルで、最初は長い黒色ドレスで、足首に到達し、徐々にふくらはぎ上部に上がっていきました。
「文明化された新しい衣装」が現れると、古いスタイルのジャケットとスカートの併用(上袄下裙)やジャケットとズボンの併用(上袄下裤/上襖下褲)もどんどん変わっていきました。
領を下げて首を見せたり、領口の形を円形、方形、ハート形、ダイヤ形などにしたり…。
ショートのジャケットやベスト(短袄)の裾は丸くなったり、とがったり、六角形になったりしました。
次のイラストは丸い裾のタイプです。
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青と白、枝模様のドレス。立領と大襟に繋がるパイピングとチャイナドレスは一連のものなので、これは2種の生地をつなげたワンピース、つまり旗袍といえます。旗袍の上にベストを着ているわけです。中国の青花陶器の雰囲気が強く、カラフルな色合いはありませんが、美しい女性の無邪気さと優雅さを表しています。ゆったりした裁断、波のようなレースを伴う仕立ては、いつものように女性の気持ちを反映しています。白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、105頁。
裾のとがったジャケットはこちら。
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林文烟花露水。林文烟カレンダー・ポスターのブラウス(1927年)。描画は謝之光。白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、104頁。
さらに、六角形をふくむジャケットはこちら。
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中華民国初のタバコ広告。「この改良旗袍は短く、膝、襟、袖、肩、右がすべて波で飾られています。最大の特徴は、腰に装飾された帯が脚まで垂れさがる工夫。花でいっぱいの肩、腰、スカート、袖口。なんて香ばしくて美しい女子でしょう」。白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、189頁。
なかには、長くて幅広い明色のシルクでできたサスペンダーでスカートを吊るし、リボンで飾りつける不良少女もいたとのこと。
ちなみに、裾が馬蹄風にパイピングされていた清代のスカートや袍服はだんだんと簡素化され、1920年代に姿を消しました。上のイラスト3点のうち、2点目にある袖口の太いパイピングは1930年代にはほぼ見られなったのです。
補説:直線か曲線か
上のイラスト3点のうち、1920年代に描かれたと明記されているのは2点目です。ですので、このイラストだけから考えると、中国服装史の通説が、ここでも崩れます。
たとえば、包銘新主編『中国旗袍』では1920年代を次のようにとらえています。
1920年代、ヨーロッパとアメリカの衣服の美的基準が中国女性に大きな影響を与えました。この時期のヨーロッパ婦人服のおもな特徴は直線を重視することでした。そして、膝丈のスカートが多く、身体とスカートの境界線は腰より下になっていました。
たしかに、当時の欧州では、AラインやHラインのシンプルなスタイルが多かったのですが、上の2点目のイラストは柔らかい生地でゆるやかな曲線を示しています。フランスのシャネルのようなスーツとは違います。もう少し比較対象をはっきりさせないと、直線か曲線かは判断できません。
文明化された新しい衣装:ノースリーブ旗袍
1920年代半ばから、新しい種類の旗袍が誕生しました。当時の上海はアパレル・ファッションの中心地と考えられ、その勢いは他地域をはるかに上回り、中国全土のアパレル・ファッションに変化を与えました。
上のイラストで見たような2枚重ねに見えるベスト(上袄)が下に伸びていき、膝丈から足首丈までのどこかに裾がきました。そして、スカートを駆逐しました。こうしてワンピースとして着る旗袍が形成したのです。この形成は1926年のことといわれます。
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2枚重ねに見えるジャケットがロングスカート化したわけですね。これって、西洋文化を果敢にとりいれていた背景を考えたら、宣教師たちの服装を1点の服で真似ようとしたのかなぁと妄想してしまいますが、定かではありません(笑)。
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ところで、上海で旗袍が形態変化をはじめた頃のイラストは、見るかぎり複雑です。ジャケット(ベスト)がロング化して旗袍になったと説明する文献が多いのですが、一枚岩では行きません。
たとえば、次のイラストは、ジャケット(ベスト)がロング化して旗袍になった一例とも考えられます。
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蘭閨試鞋図。哈徳門牌。作者は康年。規格は77.8cm×50.8cm。琛珍蔵。趙琛『中国近代広告文化』大計文化事業有限公司(台湾)、2002年、245頁。
しかし、2枚重ねに見えるジャケット(ベスト)の肩辺りをよく見ると、紺色の旗袍と内側の白色ブラウスの2枚重ねになっていることが分かります。上に示した3点のイラストのロング化とは違います。
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このイラストの旗袍が1920年代中頃にあったなら、民国旗袍はノースリーブから始まっことになります。さっきのジャケットやベストもどきの袖つき上衣がロング化したなら、半袖や長袖の旗袍が民国旗袍の始まりとなるので、かなり対照的です。袖だけの話とはいえ。
1920年代旗袍の位置:民国旗袍の誕生のあり方
1920年代から旗袍とベストを着る古いスタイルは時代遅れになっていきました。
それでも、上海や北京などの経済・政治の中心地から遠く離れた村々では、交通機関や情報システムが不便だったため、伝統的な衣服が着られつづけました。そして、大部分は清代のスタイルを継続していました。ワンピース想定の旗袍の輪郭はあまり変わらず、清朝後期の広さが特徴でした。
かといって、旗袍が1930年代以降のように一般的だったかというと、そうでもありません。
1920年代、ツーピース着用を想定したジャケット風の短い旗袍(上袄)もありましたし、裾丈が長い旗袍は、ベストや下衣と併用されました。ワンピース着用を想定した旗袍(袍服)は、清代に比べて影を潜めたともいえます。
このように、いくつかの形態や組み合わせが混在したのが1920年代でした。
1930年代以降、旗袍はベストのような小さい上衣と併用しなくなり、寒いときはコートを着るようになります。かなりシンプルになったわけです。
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アンサンブルの可能性がほぼなくなったと考えられます。
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1930年代、新しいスタイルの旗袍のデザインは変化を追求し、ファッションプロセスを加速しました。この旗袍は脚のスリットを中ほどまで開くだけでなく、両肩の短い袖にも施されています。杭稚英作。白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、128頁。
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中国と西洋の文化を組み合わせた旗袍は、1930年代冬季のファッショナブルな女性たちのお気に入りでした。冬の太陽の下、この旗袍の女性はどんな優雅さを見せていたでしょうか。白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、148頁。
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