清代から現代までチャイナドレス(旗袍)の歴史を年代別にたどります。
ぱおつ
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旗袍の歴史(チャイナドレスの歴史)は大きく4段階にわかれます。
チャイナドレスの歴史(年代別にみる旗袍)
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清朝期4要素の形成旗袍の形態が4要素で形成されました。4つ目の要素「立領」が登場した清代末期。チャイナドレスの歴史(テーマ別にみる旗袍)清代から現代までチャイナドレス(旗袍)の歴史をテーマ別にたどります。
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民国期(近代)旗袍の洋服化形態の4要素は維持され、だいたい、1920年代にスリム化、1930年代・1940年代にボディコンシャス化。丈の上下や領の高低やスリットの深浅などがコロコロと変わりました。1920年代:民国旗袍の誕生のあり方文明化された新しい衣装として民国旗袍は注目されましたが、その誕生をツーピースから説明するか、ワンピースから説明するかは難しいものです。民国旗袍の誕生のあり方について、通説のツーピースにたいして、ワンピース説の可能性を示唆します。1930年代:旗袍の黄金時代1930年代の初頭、まだ旗袍は1920年代のスタイルをひいていて、臀部を覆わない短いもの袍でした。旗袍の裾が地面まで降りはじめたのは1932年ころ。1934年ころには旗袍が地面に擦れてしまうくらい伸びたところにハイヒール・シューズがやってきました。1940年代:旗袍黄金時代の継続と浮沈旗袍がクラシックに移行するプロセスは1930年代に完了しました。1940年代はその黄金時代がつづき、孤島となった上海はいろんな面で不均衡な発展を遂げました。そして、二つのまったく異なる旗袍スタイルが出てきました。どんなスタイルだったでしょうか。
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現代各部の高低・深浅の変動形態の4要素は維持。スリムとボディコンシャスは前提となりました。高い領と膝丈が流行。1960年代(とくに香港)から2000年ころまで。1960年代と1970年代:旗袍が地味な地位から国際舞台へ文化大革命の最中と終了後に、旗袍がどんな扱いを受けてきたかをたどります。1966年から1976年まで続いた「文化大革命」は旗袍にとっても惨事でした。文革前後の旗袍は混沌としていましたが、フランスのとあるデザイナーが旗袍に輝きを見出したのでした。1980年代・1990年代:旗袍が少し輝いた期間文化大革命以降、旗袍(チャイナドレス)は人気を落としましたが、少しずつ回復傾向に入りました。1980年代・1990年代の旗袍はどのような歴史になったでしょうか。1世紀続いた旗袍はいまも進化を続けていますが、強い中国風・中華風を維持しています。
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目下4要素の崩壊4要素のうち、大襟・八字襟とチャイナボタンの2か所が飾りだけになり、後身頃中心にファスナーが使われています。2000年代から。21世紀20年まで:旗袍がファッションからコスチュームへ21世紀20年までをとりあげ旗袍がファッションからコスチュームへ変わった経緯をたどります。制服旗袍が減退した中国では今でも旗袍のファッションリーダーが登場したりハンドメイド作家が登場したりと賑やかです。チャイナドレス愛好家たちの撮影会もたくさん。
チャイナドレスの歴史をテーマ別に調べる場合は次をご覧ください。