知識人女性が旗袍をとおして斬新に

歴史(テーマ別)
この記事は約7分で読めます。

よくいわれることですが、封建社会はどこでも女性の地位が低く、20世紀になってから、ヨーロッパの影響によって中国でも日本でも女性解放運動が進みました。

このページでは、民国期に知識人女性が旗袍の広告をとおしてファッショナブルに描かれたことをふりかえります。

スポンサーリンク

封建社会での女性の地位

旧社会の女性を圧迫してきた三従四徳(政権、族権、神権、夫権)は女性を肉体から精神へと破壊し、迫害してきました。社会的地位を与えなかったり奪ったりしたことはいうまでもありません。

封建支配の二重権力と道徳教育を学ぶ必要性のもと、ふつうの中国人家族のほとんどの女性は深い家の中庭に幽閉され、社会活動に参加する機会はほとんどありませんでした。

スポンサーリンク

20世紀初頭からの女性解放の動き

民国期の旗袍ポスターが窓に並ぶ。上海田子坊にて2016年9月2日に撮影。OLYMPUS IMAGING CORP. E-PL6, ƒ/6.3, 1/250, 14 mm, ISO 200, OLYMPUS DIGITAL CAMERA

この歴史的な現状のもと、女性はこれらすべてから開放され、実際に困難な闘いをつうじて、個性、自由、解放を獲得しました。

西洋文化、男女平等概念、民主主義・自由・平等の概念などが普及し、中国にキリスト教会によって設立された新型の女子校が開校していきました。

留学ブーム

20世紀初頭、前例のない留学の波がおしよせ、留学生選抜が新政の重要な手段となりました。2年間で、清政府は学生に留学をすすめるため、二つの勅令を出しました。

明治維新後、日本は少し先を歩んでいたうえ、文化的伝統も似ていました。張志東の「西を巡るのは東ほど良くない」との見方はとても受け入れやすく、日本留学が学生達の第一候補になりました。

留学の激しいブームは、裕福な女性に海外へ行く機会を与え、客観的に新女性の知識人グループを形成する条件となりました。

国内の女性解放運動

女性解放グループの設立、女子学校の設立、女性新聞の運営などがスタートし、男女平等や家族革命などを提唱する記事がたくさん発表されました。これらによって、国内の女性解放運動は意識的に推進されました。

孫文は、女性共和党協会(女界共和協賛会)への返答で、次のように述べました。「生来の人権や男女間の格差は、平等です。将来、女性たちは参政権をもつのだから参加しなければなりません。女性と男性は同じ教育を受ける権利を持っています。」

スポーツのはじまり

1906年、最初の女子スポーツ大会が上海で開催されました。スポーツ大会への参加は知的女性のしるしであり、今日も生きている纏足高齢者に多くの遺憾の意を残しました。

当時、多くの企業が女子スポーツのテーマに夢中になり、女性のスポーツプロジェクトを示す広告がつぎつぎに登場しました。客観的にいえば、広告パフォーマンスはほぼ完璧でした。

女性解放は刺激的な役割を果たしました。無視することはできませんでした。

有名な画家たちが描いた新女性

ゴルフは紳士のスポーツでした。志廠という画家の描いた青島中国山東煙公司の広告イラストでは、女性が旗袍を着て、ヨーロッパ風の中庭でゴルフを練習していますが、ゴルフをしている女性のイメージはヨーロピアンスタイルの中庭でした。

平肩連袖の旗袍を着てゴルフの練習をする女性。スリットが臀部まで到達し、かなり深い。内にスリップ着用。ハイヒール・パンプスとパーマ。作者は志廠。規格は、77.6cm×50.6cm。青島中国山東煙公司のポスター。趙琛珍蔵。趙琛編著『中国近代広告文化』大計文化事業有限公司、台湾、2002年、239頁。

中庭はゴルフ場の専門知識とは一致しませんが、中国市場の美的ニーズに応えていました。中国の女性がゴルフをする姿は、新しい文化スポーツの視覚効果を生みました。

杭稚英(杭穉英)の描いた山西省立晉華捲煙廠の広告から、乗馬スポーツは西洋貴族のスポーツであったことがわかります。この種のスポーツは、一般的に男性と女性の両方が同時に参加しています。イラストの内容は、男のサポートとして、女性が旗袍を着て馬を率いています。

平肩連袖の旗袍を着て乗馬男性と散歩をする女性。ハイヒール・パンプスとパーマ。杭稚英(杭穉英)の描いた山西省立晉華捲煙廠の広告。規格は、78.2cm×53.3cm。趙琛珍蔵。趙琛編著『中国近代広告文化』大計文化事業有限公司、台湾、2002年、241頁。

旗袍は清朝期に長袍や長衫とよばれ、ズボンと併用して騎馬狩猟生活に欠かせない衣服でした。

この背景が抜け落ちていることも、上のイラストから確認できます。ズボンとブーツの乗馬男性と、旗袍にハイヒール・パンプスの散歩女性という性別役割分業が形成されたわけです。

さて、「左榮茂祥緞號」の広告には、2人の女性が社交ダンスを踊っています。社交ダンスは伝統的な中国のダンスではありません。

ダンス・パフォーマンスではハイヒール・シューズが誇張されています。

平肩連袖の旗袍を着てダンスをする二人の女性。裾丈が膝頭。ハイヒール・パンプス。左の女子はショートヘア、右の女子はパーマのショートボブ。左榮茂祥緞號の広告ポスター。作者は藕生。規格は、54.6cm×38.2cm。趙琛珍蔵。趙琛編著『中国近代広告文化』大計文化事業有限公司、台湾、2002年、243頁。

広告は受け入れやすいことから、商品意識が向上し、商品の販売はより楽になっていきました。これらの3つの広告は、今でもコレクターサークルに受け継がれていて、文化遺物市場でのコレクションで最初に選ばれるものたちです。

広告カレンダーの役割

この時代の広告カレンダーの新女性のイラストは星のような輝きをもっていて、実際にコレクターたちのエネルギー源になりました。

イラストに書かれる言葉は、若い女性に運命を変えるように促すものが多く記されました。広告の影響で、多くの若い女性が民主主義、科学、知識を追求するために家を出ていき、女性解放の呼びかけは、日々ますます高まっていきました。

同時に、西洋の高度な思考やビジネス行動パターンは、閉鎖された中国の都市にも、西洋の学習を提唱する中国人の心にも微妙に浸透していきました。

彼ら・彼女らは中国と西洋の文化の統合期にありました。流行女性も例外ではありません。彼らは家族から出て専門職をえて、社会的な女性になろうとしました。

知識人女性が旗袍をとおして斬新に

五四運動の前後、さまざまな新聞や雑誌が女性問題について記事を発表しました。 雑誌「新青年」も出版され、「易ト生専号」や胡適のモノグラフ「イブセニズム」などが大きな反響をよびました。書籍や雑誌は当時の女性が知識人をめざしたり、知識人を自称したりするツールの一つでした。

インダンスレン布の旗袍。作者不詳。唐詩の本をもっている点に注目。出典元には次のような説明あり。「ふつう、エレガントな女性は旗袍の色彩を引き算はしても足し算はしません。なぜなら、赤色や緑色は他人の目に不快感を与えることを知っているからです」。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、120頁。

この前例のないイデオロギー解放の傾向がめざしたのは、封建的倫理や教育の束縛ではなく、愛の自由、結婚の自主性、開かれた家族、社会的開放、女性教育、女性禁止の自由化でした。

衝撃的なのは、女性の政治的、家族内、身体性などで「具体的な」差別や虐待を受けてきたこと。このことは、女性解放の物理的な問題でした。

結論

女性解放のアイデアが絵画言語のイメージになり、永続的なコミュニケーションと影響力をもちました。このことこそ、当時の新スタイルの広告が生みだした功績でした。

多くの若い女子や既婚女性でさえ、広告をつうじて知的女性を模倣しはじめ、読書やスポーツはだんだん流行していきました。この闘いのなかで、広告ポスターは重要な役割を果たし、また、いろんな女性が旗袍を着ていることを示しました。

一つ注意。

封建制に対する西洋の衝撃はプラスの面もありましたが、女性解放は《すぐ脱ぐ女性たち》を量産して商品化したマイナス面もあります。伝統服の洋服化が身だしなみを良くして運動性を損ねたように、西洋化には賛否の価値があったわけです。

歴史(テーマ別)
スポンサーリンク
ぱおつ
この記事の著者

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

この記事の著者をフォロー
このページをシェア
この記事の著者をフォロー

コメント

タイトルとURLをコピーしました