シノワズリとは、ヨーロッパで繰り返し流行してきた中国趣味や中国品のことです。
狭義には、17世紀後半から18世紀中頃のヨーロッパ貴族たちの異国趣味の代表的な文化現象です。「シノワズリ」はフランス語の「chinoiserie」からの日本語カタカナ化です。
バロック様式やロココ様式に中国の装飾や中国風の装飾が、室内装飾、家具調度、陶磁器、織物、服飾、絵画・版画など広範囲にわたって多く使われました。
19世紀以降も繰り返し注目されています。
ファッション業界でもよく使われるテーマで、異国情緒たっぷりの豪華な中国刺繍が数多く表現されてきました。
このページでは、定義が難しく日本人にミスが多発しているシノワズリについて、少し背景的な話を。
日本人研究者がシノワズリはおろかジャポニズムすらわかっていないことには雑草しか生えません。
シノワズリの意味 : じつは定義が難しい
シノワズリは地理的な側面と民族的な側面を兼ねているため、定義は難しいです。
物や人の移動によって厳密性は失なわれます。
冒頭で、狭義として「17世紀後半から18世紀中頃のヨーロッパ貴族たちの異国趣味の代表的な文化現象」と記しましたが、辞書的説明をこえていません。
中国風をしめす物や発想の移動が書かれていない点に限界があります。
補足するべきは、ヨーロッパ人たちが輸入した異国趣味の代表格という点です。この異国趣味には物と発想・イメージの両方が含まれています。
19世紀のグローバル化や20世紀のグローバル化によって、異国趣味には輸出用品への愛も芽生えてきました。
次の写真は最近、上海灘という会社の販売した毛織物生地の旗袍(チャイナドレス)です。
これを異国趣味として着用する人がいるとすればシノワズリとよべますが、中華圏の人たちが着ればシノワズリとはいえません。
それでは、中華圏の人々と外見の同じ東アジアの人々が着れば、≪外国風なのでシノワズリ≫といえるでしょうか。
定義上はいえるとしても、ヨーロッパ人からみれば先入観のある≪普段着≫で終わってしまいます。彼らにとっては中国人の着る旗袍と日本人の着る旗袍に違いはないからです。
シノワズリを特徴づけるモードのデザイン
以上、意外に異国風や中国風といっても厳密に区分することはとても難しいです。
とくに家具調度や織物・衣装となると、境界線がありません。
こんな状況なので≪あえて≫ですが、衣装に限定してシノワズリを特徴づける点をあげると、次のような点に求められます。
髪型は男性が辮髪、女性が紐で括ったアップ、衣装はゆったりしたツーピースが多く、上のローブも下のズボンやスカートもゆったりと描かれます。
上の絵はフランソワ・ブーシェの作品「踊る中国人たち」で、1742年に描かれました。
辮髪、アップヘア、ゆったりしたツーピースなどが確認できます。男女とも長衫や旗袍ではなく漢服にズボンですね。
違和感があるのは、衿とズボンの描かれ方です。
絵の人物によって、衿が漢服の折った縫い襟のときと、長衫や旗袍の立領のときに分かれている、または画家自身が判然と分かっていないようです。
また、ズボンは裾を絞っているうえに曲線に描かれているのでアラビア風です。下の写真のように、上衣がゆったりしていてもズボンは直線になります。
フランソワ・ブーシェ
18世紀のフランスの画家フランソワ・ブーシェ(François Boucher)がシノワズリの絵をたくさん描きました。
次の写真は嗅ぎ煙草を入れる箱(スナッフ・ボックス)です。
フランソワ・ブーシェが背景画を描いています。
フランソワ・ブーシェの版画にもシノワズリが見られ、自分が中国に魅了されていった点を表現しています。
ブージェは絵画や版画をとおして、のちに、ヨーロッパ全体に展開するオリエンタリズム思想の一環として「シノワズリ」を初期に位置づけました。
ブーシェについては「François Boucher – Aparences: Histoire de l’Art et actualité culturelle」(外部リンク)、ブーシェと版画については「Les chinoiseries de Boucher – INHA」(外部リンク)をご参照ください。作品を紹介しながらブーシェの略伝やシノワズリ感などが述べられています。
日本人のいうジャポニスムには要注意
日本人のいうジャポニスムには要注意。
正しいことを全く言わないからです。
ヤバイのは「キモノとジャポニスム」「着物とジャポニスム」といった類。
19世紀後半からみられた日本趣味(ジャポニズム)を強調するファッションの歴史家(服飾史家)たちがいます。
たとえば「モードのジャポニスム : キモノから生まれたゆとりの美」(京都服飾文化研究財団、1994年)。
これはひどいです。
従来または同時代のシノワズリとの同一性と差異性を定義せずに、東洋風(東アジア風)の雰囲気をもつ生地や衣服をジャポニスムの影響と一括しています。
これに対し、次の指摘が鋭いです。
(19世紀後半)時期の、イギリス、フランスの家具デザインやインテリアに、日本趣味があったように書かれている本もあるが、シノワズリとごちゃごちゃになっているようだ(大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年、496頁
キモノ(着物)が起源依拠によく使う江戸時代の小袖は、中世まで下着でした。平肩連袖の袷襟の構造は中国にルーツをもつので、シノワズリーの一貫といえます。
研究者たちがシノワズリとジャポニスムを混同している例はたくさんあります。
振り返ってみれば、17世紀後半からヨーロッパの人々は中国の文物と大量に接していきました。19世紀後半には感覚疲労というのが生じていたのでしょう。中国と違う東洋風を求めた結果、日本が浮上したという消極的な理由を想像できます。
「ならば朝鮮でも良かった」といえるわけですが、19世紀中期の外交の安定性から日本が選ばれたと私は考えています。
民俗用語・民族用語の難しさ
フランソワ・ブーシェの絵画「踊る中国人たち」に観たように、中国を描こうとしてアラビアを描くというのは、ヨーロッパ人たちが西アジアから順に東へアジアを知っていったからです。
ですから、後の人たちが日本を描こうとして中国を描いていることも十分に考えられます。
画家はそれでも一つの像を出しますが、研究者は用語の厳密性が求められますから、思いつきで「モードのジャポニスム」なんて言っていてはいけません。
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