ワンピースと構成要素から旗袍の原型を検証(概説編)

定義と研究
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今回から、旗袍の源流をさぐる無謀な試みをいくつかの記事に分けてまとめようと思っています。

民国旗袍(チャイナドレス)の起源と歴史を過去にさかのぼります。

中国や日本の研究では、旗袍の起源は、言葉が民国期、形態が未確定です。

ぱおつ
ぱおつ

できるだけ図版資料もまじえ、最終的には言葉のパズルのように坩堝にはまっていく私です。

このページは裁縫と衣服(モノ)の関係をあつかうので、中国服装史よりも中国衣服史として読んでいただければ幸いです。

ひとまず、

包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』上海文化出版社、1998年、2~4頁。

に依拠して抄訳します。

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旗袍の構成要素

旗袍の形が清朝期からどれほど変化しても、変わらなかった点があります。これを普遍的な要素といいます。

旗袍の構成要素は次の4点。チャイナドレスの特徴です。

  1. 立領(チャイナカラー)
  2. 大襟
  3. スリット
  4. チャイナボタン

最近では、4つ目のチャイナボタンを横ファスナーに代替することが増えています。

また、大襟を装飾にして着脱を後ろファスナーにしたものが増えています。

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ワンピースからみた旗袍の原型の検証(概説編)

旗袍は、袍服の一つとして、春秋時代と戦国時代の深衣にまでさかのぼることができるそうです。

ぱおつ
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研究者の諸見解をみていると、そうと思えばそう、違うと思えば違う、という程度の粋を越えていませんが…。

春秋時代・戦国時代から漢王朝にいたるまで深衣は高く評価され、後世の袍服は深衣と一定の関係があるでしょう。

でも、実際、深衣と袍服はかなり異なります。そういう面もありました。

深衣

黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、31頁。

深衣は上下にカットされます。上下の布を1つのボディとして接続するわけです。縫われたワンピース。

これにたいして、袍服は上下に分割されておらず、基本的に上衣下裳(ツーピース)の概念がありません。ただし、これは包銘新の説。

黄能馥・陈娟娟の説となると、袍服も上下を縫合したものになります。

包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』上海文化出版社、1998年、2頁。黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、27頁。

黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、64頁。

裁縫工程はともかく、深衣も袍服もワンピースを想定した作りや着衣だった認識は、上の文献類に共通しています。

漢代にかけて、ワンピース・システムの袍服は、ツーピースの衣服システムと共存して、安定したスタイルの衣服として受け入れられていきました。

ぱおつ
ぱおつ

個人的には立領(たてえり)が発生しているようにも思えるし、まだとも思えるし、私の課題ですね。大襟は発生してるとみて差し支えないか…。

漢族の袍服

漢代から朝廷服に使われてきた袍服は、交領(クロスカラー)、直裾(ストレートヘム=Hライン)、衣身寛博(ワイドボディ)、衣長至附(フルレングス=足首丈)が基本。

袖は太く、袖口はしっかりと収縮し、腕は弧状になっていました。古くは「袂」や「牛胡」といわれ、「張袂成荫(張衣が影を作る)」という言葉がありました。

次の図は、いずれも中国湖南省長沙で発掘された袍服。1点目は曲裾袍といわれAライン、2点目は直裾袍といわれHライン。

黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、113頁。

黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、113頁。

袍服スタイルは時代とともに変化し、漢代の深衣制度下の「袍」、唐代の「丸領襯袍」、明代の「直身」などが典型的。いずれも、ゆったりした長袍でした。

長袍は、知識人や支配階級が身に着けていましたが、時とともに流行がありました。これらすべてが典型的なワイドボディの袍でした。

袍服は上流階級、非生産階級、文化人たちの一種の余暇生活を表していました。服飾上、チュニック(宽衫大袍)とベルトは、だんだん、中央平原の衣服文化の象徴になりました。

少数民族や遊牧民の袍

黄能馥・陈娟娟编着『中国服装史』中国旅游出版社(北京)、1995年、260頁。

少数民族や遊牧民に人気のあった袍服は、一般的にタイトで幅が狭く、乗馬や射撃などの激しい活動を容易にしました。このタイプの衣服は主に左衽を使い、袖が狭く、体にフィットする袍服でした。

ぱおつ
ぱおつ

ただし、遼、金、元の狩猟風景のイラストなんかをみていても、とてもタイトとは思いにくいルーズな服も多いです。とりあえずタイトそうなイラストを上図に示しますが、曲裾袍や直裾袍のイラストと変わらないような…。イラストのサイズも同じくらいだったし。

とにかく、歴史上、漢民族もこのスリムフィットの袍服スタイルをくりかえし採用してきました。

遼、金、元、清王朝やその他の少数民族政権の統治中、フィットした袍服はかつて衣装の主人公を演じましたが、それらはすべて、よりリベラルになるプロセスや傾向を経験または示しました。 清王朝は最も長く続き、比較的安定していたので、袍服と服は典型的な衣装と見なすことができました。

遼、金、元、清王朝やその他の少数民族政権の統治下では、合身的袍服(フィッティング・ローブ)が衣装の主役を演じました。これら袍服はすべて、よりリベラルに発展する傾向をもっていました。

おまけ(胡服)

武霊王が胡服を着ておこなった乗馬と射撃は典型例です。と「少数民族や遊牧民の袍」で記されているのですが、いきなり胡服が出てきたんですよね、出典元で…。

出典元はこの絵を念頭に述べているんでしょうが、ワンピースの袍かツーピースの胡服かがわかりません。出典元はタイトフィットの胡服だったといいたいんでしょうか。

唐時代の胡服もしばらくの間人気がありました。胡服は唐代天宝年間に胡粧、胡騎、胡楽同ら音楽・舞踏の人たちに人気がありました。

結論

大襟とスリットは、深衣、曲裾袍、直裾袍、少数民族や遊牧民の袍に存在したとみなせそう。

そして、立領の発生からみれば、曲裾袍や直裾袍が旗袍の原型とみれるのですが、これらの袍服では立領と大襟が未分化なんですね。ですので、原型とはいいにくいでしょうか…。

ただ、今回提示した深衣や袍服では、チャイナボタンのような留め具ではなく、たぶん帯締めなんだろうと思うと、やはり原型はまだまだか…。

清代の袍服ですら、初期は丸領とはいっても立領がついてないものが多いので、清代中期あたりに原型ができたといえそうです。

おもに清代の女性袍服(旗袍)のうち立領に注目して文献調査をしたのが次の記事です。オチとしては突き抜けた感がありませんが、立領はどうやら清代末期というのが通説になります。

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ぱおつ
この記事の著者

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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