民国旗袍の誕生のあり方から絞りだす今後の課題

定義と研究
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旗袍の歴史(年代別)のうち、1920年代を「民国旗袍の誕生」としてまとめました。

そこから派生した問題点をこのページで絞りだしています。

上の記事では、中国服装史研究の部門で旗袍のとらえ方が二極分解している点を述べました。

再掲します。

包銘新主編『中国旗袍』のように、丈の短い旗袍と丈の長い旗袍のどちらも旗袍ととらえる文献もあれば、華梅『中国服装史』のように、丈の短い上衣を襖ととらえ、丈の長い旗袍だけを旗袍ととらえる文献もあって、中国の衣服史研究やファッション史研究は混乱しています。旗袍的新故事では前者を優先します。形が旗袍なら、いったん旗袍とみなしたいわけです。

この分裂した状態が、旗袍の形態研究を停滞させてきました。

形態にこだわると、民国初期の旗袍をどうとらえるかの課題ははっきりしてきます。

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民国旗袍の誕生のあり方から絞り出す今後の課題

1920年代の旗袍には、のちの時代と違う面がありました。1枚の布でできていないような作りでした。

このことをうけて、通説では、2枚重ねか2枚重ねもどきの上衣、ジャケットベストなどが下に伸びたと考えます。

私は、これ自体を否定しません。

他方で、内衣風に半袖ジャケットを着て、その上からノースリーブの旗袍を着たこともあったわけです。

どちらが先行したかを判断するのは不可能です。1920年代の前半のイラストや写真を集めたところで、新しい資料が出てくれば時期が少し揺れるからです。

この限界をふまえ、「民国旗袍の誕生」に検討したことから言えるのは、次のことです。

  1. 1点目の説を支持するなら、旗袍が下衣を駆逐してワンピース化したことも強調すべきです。
  2. 2点目の説を支持するなら、内衣のジャケットやシャツが成立した根拠を突きとめるべきです。

2点目の課題に向かうは、清代にこのような着方がなかったことを意識したいところ。

清代、旗女じゃない一部の漢女が着ていた上衣には旗袍要素をもつジャケットがありました。これをふまえると1点目の説が有力。

他方、清代、旗女と満女はすでにすでにロングの袍服を着ていたのですから、そこからズボンを抜いてワンピースにしただけと考えれば、2点目の自説が有力に。ただし、突然、ノースリーブになったことを説明しなければなりません。

これらが今後の課題です。

中国語の紹介をかねて、ワンピースとツーピースの言葉を丁寧に説明した記事もあります。

ご確認のため、たまにご参照ください♪

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この記事の著者
ぱおつ

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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