旗袍と漢服をとりあげて、ファッションと感覚疲労の関係についてまとめています。
モードの歴史からみて衣装はタイトとルーズを繰り返します。
旗袍的新故事からいえるのは、旗袍のタイトさに疲れて漢服が流行りだしたことです。漢服の流行をみていて面白いのは、清代の漢族衣装に向かわないことです。
清代の漢服は膝丈の上衣(上袄・短袍服・短旗袍)にズボン。
八旗に属さない一部の漢族女性たちは、八旗に属していた漢族・満族・モンゴル族の袍服(旗袍)と同じくらい重厚で、それまでの時代に比べてタイトでした。
ぱおつ
だいたい、経済が発展すると出てくる症状です。経済成長のもとで競争社会に疲れた人たちの一部が、目の前のタイトな衣装に吐き気を覚えます。
しゃんつ
つまり、祖母や母が普段着に着ていた旗袍…。着ることに疲れるだけじゃなく、見慣れた光景にも疲れたわけです。一人で競争社会へ行くわけですから。
ぱおつ
そして、ルーズな衣装に逃げます。趣味とは逃亡のこと。だからこそ楽しむべき。
しゃんつ
それにしても、流行なのに「伝統」という言葉を使いたがるのは人類のボキャ貧。とにかく、清代の漢服、誰か着てほしいです。見たい!
漢服の流行を民族で語りたがる人が多いなか、旗袍への感覚疲労に陥っているだけという視点は大切です。グローバルで民族を越えた流行を民族で説明はできません。
民族で説明したいなら、民族を越えた流行を止めるべきとなり、服装の自由に反してしまいます。そして、コスプレができなくなります。
ぱおつ
そりゃそうと、誰がとやかく言っても、世界中でいろんな形や用途で着られている洋服の感染力と変態力がもっとも凄いというオチになります。