1920年代・1930年代、ユダヤ商人は有名商店街の南京路(現南京東路)、静安寺路(現南京西路)、霞飛路(現淮海中路)などで百貨店、食品店、アパレル店、レストラン、喫茶店などを経営しはじめました。
上海灘には女性専門アパレルストアの朋街女子服装店がありました。1920年代・1930年代の中国人女性に旗袍を提供した女性服専門店で、民国旗袍を本場上海からプロデュースしていた代表的なお店です。
この記事では上海灘の女性服ストア「朋街服装店」の歴史をご紹介しています。
鴻翔と朋街
鴻翔以外に1930年代に勃興した「朋街」があります。朋街は南京東路154号に位置し、鴻翔の有力なライバルでした。
この店の創業者はドイツ系ユダヤ人で立西納といいました。彼は裁縫出身ではありませんが、服装の経営に経験がありました。
1935年、立西納南京路61号の2階に朋街服装店を設立しました(1937年説あり)。立西納はナチスの迫害を避けるため、単身でライン川から黄浦江のほとりへ来ました。
ファッションデザインを少し知っている同郷をさがして、5人ほどの中国の裁縫人を募集しました。
そして南京東路61号2階に開設したわけです。
上海の朋街服装店:上海灘の女性服ストア
外国人女性サービスの高級縫製店「朋街服装店」(朋街女子服装店/BONG STREET)は、立西納の故郷の小さな街で有名でした。「朋街」の経営特色は創立当初に形成されました。
品質重視
まず、品質を重視して、立西納は労働者に服ごとに精緻に作ることを心がけました。
このため、彼は労働者を選ぶのにとても厳しかったそうです。腕がよくて、技術が優れている裁縫者を選びました。
「朋街」に残れるのは技術が優れた裁断の達人ばかりでした。たとえば兪姜林、張新遠、徐金龍、張杏三、宋長福、長庚兄弟など。いずれファッション界の有名人となっていきました。
デザイン紹介を重視
つぎに、デザインの紹介を重視しました。
立西納はヨーロッパで盛んに行われているファッションショーのやり方を借りて、毎年春秋の四半期に上海でファッションショーを開催しました。
このショーでヨーロッパの最新ファッションのデザインを紹介しました。
この方法は当時の上海では唯一無二でした。ファッションショーが開催されると、すぐにセンセーションを引きおこし、当時の上海各国の流行女性を惹きつけ、一時的に名声を高めました。
数年の努力を経て、「朋街」は上海の高級ブティックとして有名になりました。
多くの外国人が「朋街」の常連になりました。一部の社会的名流も名を慕って通うようになりました。一部の人たちにとって「朋街」は高級の象徴だったのです。
重要な社交の場で人々は朋街女子服装店(BONG STREET)のブランドラベルがついたドレスやコートを着て、自分の高貴さと優雅さをアピールしました。
第二次大戦終結後の経営移譲
第二次大戦終結後、立西納は朋街女子服装店を経営する気をなくし、このストアをリーダーの張新遠と張根桃叔甥と取引しました。
また、「朋街」の財産権を華人の手に移しました。この時点で朋街女子服装店の財産は中国人の手にわたりました。
1949年以降、数年間の経営を経て「朋街」は1956年に公私合弁となりました。それとともに現在の所在地「南京東路154号」の建物に引っ越しました。
公私合弁後の朋街
公私合弁後の朋街には、最初に元店主の立西納が心を込めて選んだ「朋街」の柱となってきた師匠だけでなく、十数人の合資後に加入した師匠もいました。
「朋街」の師匠たちはそれぞれの特技をもっています。
絹の生地を作るのが得意で、ラシャの生地作りに優れている者もいました。
伝統的なスタイルをデザインできる人もいれば、海外のファッションの新しい流行を吸収するのが上手な人もいました。
彼らはいずれも立体的に裁断して、作った服は体にフィットし、たとえ特殊な体型の顧客でも、彼らのデザインした服装を着れば美しく上品に見えました。
合弁後の顧客層は変化し、過去の名門富豪から一般消費者に転向しました。それでも「朋街」は品質とデザインを重視する伝統を受け継ぎ、斬新で奇抜な婦人服を絶えずデザインしていきました。
1980年代改革開放後の展開
1980年代の改革開放後、中国のアパレル業界には本格的な春が訪れました。
「朋街」は昔の技術者に対する礼遇を重んじ、彼らを安心させて雇用を続けました。
他方、古い技術者たちから丁寧に技を教えてもらい、「朋街」のための新しい「店宝」を育てました。新しい「店宝」たちは若者特有の活気をもって、明快で新鮮で時代の雰囲気に富んだ新しいファッションをデザインしました。
1980年代、商業部・市・区などのクラスのデザインコンテストで朋街は何度も受賞しました。
半世紀の歳月を経たこの名店は「上海朋街服飾有限公司」と改称し、今でも営業を続けています。「中国の首を争い世界の先を行く」という目標を掲げて、斬新な店構えで上海灘エリアの特色と影響力を発揮して女性ファッションの拠点となっています。
このストアの歴史を追った記事がありました。「“朋街”不是街,是凝集了思乡之情的服装店」です。各時代の店舗や衣料品の写真がいくつかあって、雰囲気がわかります。
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