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シルエットと曲線美からたどる民国旗袍の美学

歴史(テーマ別)
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民国期をつうじて、旗袍(チャイナドレス)は当初の人気ファッションから古典へと進化しました。そして、旗袍の美学はさまざまな時代の特徴に昇華しています。

このページでは、包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』華梅『中国服装史』などの抄訳・紹介をかねて、民国旗袍の歴史を年代とテーマからみて、旗袍の美学を考えます。基本のテーマは旗袍のシルエットと曲線美です。

徐々に、他の服飾史家や研究者たちの美学も盛り込んで、圧縮していきます。まぁ、インターネットでいろんな情報が増えていて、よく言われることに過ぎないかもしれませんが…。

20世紀末の旗袍

近代以降、中国のファッション界では伝統が失われていく速さは驚くべきものでした。しかし、旗袍は民族衣装としての活力を維持できたといえます。

1990年代の10年間、ファッション界に旗袍は再登場しました。このとき、グローバル化と観光業の拡大によって、旗袍は国際的なファッションステージに頻繁に登場しました。20世紀末の旗袍は優雅な外観をしていて、さまざまな国際舞台で、とくに国を代表する重要なフォーマルドレスとして使われました。

旗袍には衣服という現物以外にも感情的な要素を含んでいました。これから中国は経済大国になるという自負がみなぎっていたように思います。また、旗袍は、民族衣装のもつ郷愁を体現していたと考えられていました。

次の写真は、私が中国上海浦東新区の東方明珠にて、2004年12月に撮影したものです。当時はてっきり、これがあの有名なチャイナドレスかとときめいたものです。この3人の衣服はチャイナブラウスにスカートという漢服というべきか、少なくともチャイナドレス(旗袍)ではありません ^^;

中国上海浦東新区の東方明珠にて、2004年12月に撮影。

2010年代になり、旗袍が中国の民族衣装かどうかについて議論は紛糾しています。この議論では漢民族が多数を占める現代中国で満州族起源の旗袍を民族衣装とみなすことに懐疑的な論点が出ています。私自身は、1カ国に1つの民族衣装を定める必要はないと考えています。

シルエットと曲線美からたどる民国旗袍の美学

民国期の旗袍

民国初期、西洋から新しい社会的思考が入ってきて、美的概念の近代化を促進しました。

約言すると、衣服において人体はより重要になりました。また、露出度が増加傾向に入りました。

1920年代:旗袍の洋服化のはじまり

もともと旗袍は、清代のゆったりした真っ直ぐで堅いシルエットでした。およそAラインです。しかも、綿入れの習慣があったので、寒い時期の旗袍はかなりモコモコになります。

民国期になると旗袍に綿入れの習慣はなくなりました。1920年代半ばの旗袍は、少し清代旗袍を引き継いでいて、腰が緩く、袖口が広く(大袖)、裾丈は足の甲まで長かったのです。下の写真はあっさりですが、旗袍の縁には镶滚という高度なパイピングがよく施されていました。

左)幾何学模様で濃い橙色の長袖旗袍(1920年代)。Hong Kong Museum of History。右)清朝初期の刺繍された女性の袍服が、内モンゴル白音尔灯にある荣完公主(栄憲公主)王女の墓から発掘。中国华文教育网-民国的服饰

1920年代末になると西洋化により、都会女性のあいだで旗袍の丈が短くなり、腰もキツくなりだし、改良旗袍が誕生しました。満族・漢族をとわず旗袍は普及し、袖口が細く、パイピングも細くなりはじめました。ここから、改良につぐ改良の歴史がはじまります。

1930年頃から、だんだん、体型を際立たせる新しいシルエットに進化していきました。HラインやXラインです。また、立領が強調されるようになり、ややキツめ。

華梅『中国服装史』では「斜めの衿の線が加わり」(197頁)とあります。大襟のことですが、清代旗袍にも大襟はありました。ただ、清代には横に線が入った形が多く、斜線が主流になったのは民国期からかと、改めて気づきました(今後は清代の衣装を見て確認していく必要もあり)。

1920年代末~1930年代(1):旗袍のシルエットと曲線美

旗袍のシルエットは1920年代末から1930年代にかけて完成しました。

HラインやXラインに向かうにつれ、人体のラインが浮かび上がり、曲線の美しさが注目されていきました。

曲線は、中国人の心に浮かぶ女性のイメージにフィットし、胸、腰、臀部を誇張せずに、適度に強調していました。自然でシンプルなスタイルは、エレガントで優雅、そして威厳のある衣装と考えられました。

旗袍のS字曲線はあまり極端ではなく、女性の曲線美を自然な方法ではっきりさせていました。これは、ヨーロッパのアール・ヌーヴォーのS字シルエットと違いました。

アール・ヌーヴォーは旗袍にとってあまりにも露骨です。また、旗袍は清代の古い長袍(袍服)とも違いました。清代の長袍は、ピューリタンのような古いスタイルのローブでした。ローブの下に人体の曲線美を出していませんでした。

ヨーロッパのアール・ヌーヴォーのS字シルエットがかなり窮屈そうに包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』は書いていますが、アール・ヌーヴォーは新芸術のフランス語(のカタカナ化)なので、示す範囲は広いです。かなりルーズなローブなどもかなりありました。

たぶん『中国旗袍』は次のようなドレスを念頭に書いているのだと思います。

ウェストの凹みが大きいS字型シルエットのドレス。1910年代chic parisienシリーズの作品。出典は美しき時代、ベル・エポックのよそおい | ポーラ文化研究所

民国期になって旗袍の曲線美は人体にやさしく解放されていきました。

このことは、中国人女性の体型に適していただけでなく、中国人の一貫した美的傾向に沿ったものでした。誇張された極端な服装スタイルを評価せず、服装は道徳や習慣に従わなければならないと信じられていました。

ぱおつ
ぱおつ

包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』の一番いいたいところは、この前後です。

旗袍は過度に誇張されていないため、シルエットとラインがシンプルで滑らかで寛大でした。旗袍を着た女性たちは「見せる」ことを同時に「覆う」ことでもあるように注意していたので、そのジレンマがより魅力的でした。

しゃんつ
しゃんつ

『中国旗袍』では簡潔に「露」と「遮」の2語で述べています。

ただし、1930年代の旗袍はスリム化とボディコンシャス化に向かっていますから、黄能馥・陳娟娟編著『中国服装史』は、旗袍が若い女性や痩せた中年女性にしか適応できなかったと指摘しています(386頁)。

他方、包銘新主編『世界服飾博覧 中国旗袍』は、このような体型さも1940年代にかけて解消されていったと楽観的に述べています。アール・ヌーヴォーほどはS字の強さが旗袍にはなかったことが根拠です。

ぱおつ
ぱおつ

曲線美を視覚的にはっきりさせる効果にパイピングが細くなったこをあげられます。旗袍がボディフィット(ボディコンシャス)に向かうなか、細いパイピングはさらに曲線を強調しました。

1920年代末~1930年代(2):旗袍のもつ性的アピールの変化

いつも、伝統的な美的概念というものは、衣服のセクシーな要素を秘密にしてきました。清代旗袍はフラット構造でカラフルなドレスでした。このような旗袍は、眉間の性的な魅力をアピールしました。つまり、女性の身体のなかで眼と眉の表情に性的アピールが大きかったわけです。

美的概念の変化は女性をより魅力的にしました。女性の脚と足は陽光を楽しんで浴びるようになりました。このことは、裾とスリットの消長に顕著でした。つまり、民国期になると、女性の身体のなかで脚部と足部に性的アピールが生じました。

ぱおつ
ぱおつ

つまり、目から脚へ。

1930年代:旗袍の脚線美

1930年代のなかで旗袍の裾線は1932年に最低に達し、スリットは股間まで深まりました。一例に次の広告ポスターを挙げておきます。

一般的に、スリットが高いと裾線は低くなり、裾線が高いとスリットは小さくなります(低くなります)。つまり、衣服要素の分布関係において、旗袍には視覚効果があって、バランスと調和が十分に満たされていました。旗袍が流行した後期(1940年代)、露出度が高くなる傾向がありました。

ぱおつ
ぱおつ

ただし、裾線とスリットのバランスと調和は、やや脚線美に引きずられた叙述です。1930年代ころ、必ずしもスリットが臀部にまで高くなったわけではなく、女性学生の制服などでは膝丈あたりで留まっていました。

しゃんつ
しゃんつ

スリットが膝あたりに指定されている制服の場合、単純に、裾線が上がれば(旗袍の丈が短くなれば)スリットは短くなります。逆に、裾線が下がればスリットは高くなります。いずれにしても、バランスと調和はとれていたともいえますが。

1940年代:装飾品の増加

1940年代になると、裾線は膝と同じくらい高くなり、旗袍がミニドレス化しました。

1920年代の特徴だった大袖は、夏にはノースリーブまで短くなりました。また、パーマ、シースルーのストッキング、ハイヒール、コサージュ、ネックレス、イヤリング、時計、レザーバッグなどが広く普及し、女性の演出がかなり強調されるようになりました。

1940年代:戦時下の癒しになった旗袍

ある人は「セクシーな魅力あるファッションは本当に一種の贈り物です。この厳しい時代に、旗袍は私たちに少し安らぎを与えてくれます。女性が本当の魅力を表現することは、私たちがこの社会に対処するための強力な武器です」。旗袍が流行した時代の戦争の砲火と血生臭い風雨は、旗袍を着た女性たちの姿と対照的に見えました。

旗袍の外観は1930年代に成熟しました。それ以降、旗袍の人気は、袖の外観、袖の長短、装飾やコロケーション、その他の衣類とのアンサンブルに反映されていきました。同じスタイルのチャイナドレスでも、生地が異なれば、同じようには見えません。

1930年代・1940年代の生地の多様化

当時の旗袍は、階級に関係ない女性のドレスの一種でしたから、特定の社会属性を示そうとするとき、生地の質感とその人気が判断の主な基準の1つになったはずです。

1930年代・1940年代に旗袍の装飾は減少したので、生地がますます重要になりました。また、生地は、旗袍の風格のなかに「時代の特徴」を構成する重要な要素にもなりました。

1930年代に流行したインダンスレン・ブルーの生地、抗日戦争初期の国内産の白色綿生地、ウールブルーの生地、そして伝統的なアンティークのファイン、ブロケード、シルク、ベルベットなどの生地にある「視覚的なタッチ」は、旗袍の違ったスタイルとして心理効果がありました。

たとえば、女子学生の素朴さ、映画スターの魅力、着婦人の優雅さは、すべて旗袍が表現できる得意なスタイルでした。

生地の美しさは当時の流行にも関係しています。1930年代にファッショナブルだった縞模様の生地は、1940年代には時代遅れになりました。

通時的な簡素化

旗袍の装飾やコロケーションも、複雑なものから単純なものへと変化しました。清代の古いスタイルだったストレートなシルエットには、镶、嵌、滚、绣、荡、贴、盘、钉など、あらゆる技術が施されていました。

清朝末期に有名な売春婦(妓女)の賽金花が着た旗袍には300〜400個の如意头をすべてパイピングに使い、栄光の瞬間を物語ります。

ぱおつ
ぱおつ

この賽金花の旗袍をネットで調べてみましたが、どの旗袍か特定できませんでした。とりあえず、彼女の服装が1ページ内で多く載っているのは「譽滿京城的風塵女俠——賽金花傳奇 | 天天要聞」ですので、今後、これを拠点に調べていきます。

対照的に、改良旗袍によって線入り縁どり(パイピング/镶滚)などの装飾は減り、シルエットが美的焦点になりました。

よいシルエットは装飾の影響に耐えられないことがあります。美しい形の服はしばしば過度の装飾を避けようとします。暗黙のガイドラインです。さらに、旗袍は旧式スタイルにベストを着る固定的なコロケーションからも解放され、いろんな人たちに互換性ができました。

1920年代ころまで、上衣として旗袍の外側に着る服には、ジャケット、コート、スーツ、セーター、ベスト(馬甲)などがありました。すべて一般的なコロケーションでした。冬の北京風オーバーコート(大氅、一口钟)もおしゃれな着方でした。

旗袍の簡素化で忘れてはならないのが1940年代前半に熾烈になった抗日戦争です。人々は衣服に対して、活動を促進する実用的な機能を考えました。旗袍もその一つで、裾の長さは短くなり、夏には袖の長さは肩下で3㎝から6㎝ほど、ついにはノースリーブになります。

なお、袖が短くなったことは戦争が原因だけでなく、おしゃれ的な意味での簡素化もあったのは「1940年代:装飾品の増加」で触れました。

民国旗袍のまとめ:女性の属性を越えた広い普及

このページでは、民国旗袍の美学を追ってきました。旗袍の美学には次のような点がありました。

  • シルエットの曲線化
  • 曲線美の登場
  • 脚線美の登場
  • 装飾品の増加
  • 生地の多様性

清代旗袍にくらべて、民国期の旗袍は、曲線美や脚線美、それに装飾品で華美になることはあっても、旗袍本体への装飾はだんだんと簡素化していきました。

ぱおつ
ぱおつ

民国旗袍の美学のうち、装飾品の増加生地の多様性からは、1930年代の旗袍が中国人の衣装で一つの典型となったと考えられます。

しゃんつ
しゃんつ

シルエットや曲線美・脚線美という美的基準が定まり、素朴な旗袍と華美な旗袍の二極化が進んだように想像します。それが固定化されたあと、アクセサリーや小物などの装飾品が増えるか、生地が多様になるか、これくらいしかファッションの選択肢は残りません。

そして、1930年代・1940年代に旗袍はあらゆる分野の女性に着られるようになり、さまざまな場面に適した最も一般的な服になりました。黄能馥・陳娟娟編著『中国服装史』では、1920年代なかばから1950年代初頭まで、中国の都市部や農村部で知的女性(知識人女性)にとって、旗袍は最も一般的な衣服だったと回顧しています。

全盛期の旗袍の着用率と人気期間は前例のないものです。1940年代にはとくに、年齢に関係なく、太っていても細くても、肌の色もどうであれ、一国全体で旗袍はファッションとして着られました。

旗袍が広まりすぎて、美的恥ずかしさの例もありました。梁実秋氏はかつて次のように述べました。「両脚が竹箸のようにまっすぐな女性と、O脚で松の根のように脚が捩れた女性が、しばしばペアで外出しています」。

このような揶揄は近代日本でもありました。西洋からスカートが入ってきて日本人女性は喜んで穿くようになったが、鴨足にスカートかと…。O脚で短足で脚のサイズがデカいということでしょうか…。こう言ったのは確か、内田魯庵。全集で見たんですが、出典メモってません…。

当時、学校の制服、工場の制服、普段着、正装はすべて旗袍でした。便利になった生産や経済メリットに加え、チャイナドレスの適応性は無視できませんでした。当時はこう思われていました。チャイナドレスが変わると、今日の流行が変わったと思います。旗袍は流行のリーダーでした。

旗袍の展望

アール・ヌーヴォーを意識した包銘新主編『中国旗袍』によると、1930年代・1940年代に美的基準が目から脚へと移りました。よく1960年代の香港旗袍でいわれる腰のくびれは、胸・腰・臀部(ボンキューボン)の美的基準です。どちらかといえば、60年代香港の旗袍のほうがアール・ヌーヴォーに近かったようです。

ぱおつ
ぱおつ

民国期上海の旗袍と1960年代香港の旗袍で、何が同じで何がちがうかを比べるのは楽しいですね。

しゃんつ
しゃんつ

旗袍の洋服化はボディコンシャス化でもあったわけですが、はじまりは上海での胸部で、おわりが香港での腰と臀部だったとまとめられる気がします。

旗袍がかなり永続的な魅力をもってきた理由は、その果てしない変化にあります。旗袍の独特の個性や魅力、そして現代ファッションの美的概念の共通性からして、その美しさは衰えることはなさそうです。

最近のおしゃれな女性は、過去の栄光を賞賛するため、安易に模倣することはありません。ファッションのグローバル化の時代には、旗袍が全盛期ほどは衣料品を独占することは難しいですが、旗袍の美しさには永遠の意義があります。

参考文献

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