華梅『中国服装史―五千年の歴史を検証する―』

3.5
書籍・図鑑
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本書は、著者が大学で教えてきたテキストを要約したものです。

中国ファッション史をとても丁寧にまとめています。

歴史としての中国服装史を検索して来られた方は下のページをご参照ください。

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華梅『中国服装史―五千年の歴史を検証する―』の概要と旗袍

本書は中国服装史ですから、衣服史と違って、どちらかというと装飾品もあわせたアンサンブルの歴史や服装の時代的意味をあつかっています。

旗袍(チーパオ)が書かれている個所は次の3か所です。

  • 第七章「清代の服装」、第三節「融合に向かう満州族と漢民族の女子の服装」
  • 第八章「二十世紀前半の漢民族の服装」、第三節「女子の襖、裙と旗袍」
  • 第十章「二十世紀後半の服装」、第五節「職業別の服装の登場」
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本書がとりあげた旗袍の特徴

著者と訳者は、第七章「清代の服装」で旗袍、20世紀を扱った第八章と第十章ではチャイナドレスと使い分けているのが巧みです。

中国では旗袍という言葉が20世紀にも使われましたが、清朝期の旗袍と20世紀の旗袍では同じ部分と異なる部分があり、その点に著者と訳者は敏感だということがわかります。旗袍の説明はこちらをご参照ください。

以下、旗袍に関する本書の内容を簡単に紹介します。

八旗(満族の社会組織)や皇族の婦人の朝服は男性とほぼ同じでしたが、霞帔(かひ)は女性専用の物でした。霞帔は鳳冠霞帔(ほうかんかひ)として冠につけられた飾りです。

八旗女性は普段から袍や衫を着ました。清代初期の袍や衫はゆったりしたものでしたが、後にまっすぐで筒のような形になりました。胸・肩・腰・尻が平らで直線的な清代旗袍が出来上がっていきます。清代に併用されたアイテムにはチョッキ、馬掛、マフラーがありました(本書175-176, 197頁)。

八旗に所属しない満族女性や八旗に属する漢族女性も丈の長い筒型の袍を着ていました。

1911・12年の辛亥革命以降に身分制は徐々に取り払われていき、中華民国期の一大服制改革が導入された1929年からは、新型旗袍が登場しました。

満漢の民族を問わずに女性へ普及していき、袖口と縁取りが徐々に細くなりました。それまで袖や身頃が直線で平面的だった旗袍が20年代末から曲線的なラインをもつようになります。洋裁の導入です。それとともに、旗袍の特徴の一つ、斜めの襟が強調されるようになりました(本書196-199頁)。

鳳冠霞帔がなくなり、代わりに肩掛、マフラー、手袋、指輪、耳輪、コート、セーターなどが併用されました。また写真にあるように、パーマをあてたり、ハイヒールを履いたりする場合も多く、ギャルソンヌ・ルックまたはモダンガールの象徴的な姿としても旗袍は一世を風靡していきました。

1980年代頃から旗袍は中国大陸、香港、台湾などで着られることが減っていきました。それとともにかなり量産タイプの陳腐なチャイナドレスが、レストラン、ホテルなどの案内係の制服として着用されるようになっていきます。著者の華梅氏は旗袍が史上最低の地位へ転落したと嘆いています(本書317-318頁)。

華梅『中国服装史―五千年の歴史を検証する―』改訂版、施潔民訳、白帝社、2003年。

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この記事の著者
ぱおつ

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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