旗袍女性たちの古い広告写真を紹介ています。
当時のあるある技術として、肖像写真に描画や彩色をほどこすものがありました。ここで紹介する写真には、それらが多く使われています。
白黒写真は出典からスキャンして、色づけのアプリで着色しました。なかなかおしゃれです。
出典は次のとおりです。
この長袖の旗袍は、当時の若い女性のお気に入りのファッションでした。
清朝末期から中華民国初期にかけての御生堂の古写真には古典的なコレクションがたくさんあります。美しく撮影された古写真は、デザインが美しく、スタイルな多様なので、旗袍美女たちの世界となっています。
さて、ミシンの広告をみてみましょう。
1830年、フランス人(バルテルミー・ティモニエ)はミシンを発明し、それはすぐに中国に広まりました。
ティモニエの詳細は姉妹サイトのこちら。
ミシンが登場するまえは手で旗袍を作りましたが、簡単ではありませんでした。大家族の女性が素材えらびからデザインや縫製まで、1着の旗袍を作るのに半年以上もかかったそうです。
ミシンを使うことで、服作りにかかる時間が大幅に短縮されただけでなく、コストも削減され、旗袍の普及に貢献しました。
上の写真は、1908年の古いアメリカの老豹ミシンの広告です。老豹ミシンですが、豹の発音が「bào」なので、エリアス・ホウ(エリアス・ハウ)のことかと思います。定かではありません。
下の写真は、これも清朝末期で、アメリカのシンガー・ミシンの広告です。
次は、水銀鏡の裏側にちりばめられた写真です。
清末期には、鏡をより美しくするみせるために、鏡の裏側に木の板を並べ、その周りに店名や広告を印刷し、まんなかに美しい女性の写真を配置しました。
次の写真では、少女の体型は、幅広の服と複雑な刺繡で完全に覆われています。
衣服上の装飾はつねに変化しましたが、まっすぐな形は300年前から一貫してきました。シルエットでみると、肩が小さく、腰が細く、胸が小さく、中国の標準的な美女の基準は、清王朝では見られなくなりました。
これは清朝満族女子の礼服の肖像画です。当時の中国女性の「標準写真」でもあります。
華麗な「镶滚袍」は、女性の艶やかさと端麗な美しさをあらわし、また、お金持ちの尊貴さを強調しています。今、私たちはこのような華美な「ウェディングドレス」を見ることは難しいです。
典型的な満族女性の「大拉翅」頭飾りと服。清王朝の満州女性の古い写真は、つねににそんな「固定されたフレーム」にあり、扇子を永遠に手に持って、直立して自然に座っているように見えました。このような美しさを繰り返してコピーしても、美しくはならないでしょう。
満族女性の旗袍と漢族女性のツーピース
写真右の満族女性は袍服を着ています。左の漢族女性は上着を着ていて、羅のスカートを穿いています。
旗袍のスカート部分と羅のスカートは形は異なります。でも、内面の精神は同じで、平面を造形しています。広いゆったりした服は女子の体形を包んでいます。
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