旗袍の広告や写真にみるリトグラフとカラーポスター

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旗袍の広告や写真にみるリトグラフとカラーポスター

19世紀後半、中国でフルカラーの外国広告が大規模に上陸しました。しかし、その歩みは緩やかでした。

1840年、アヘン戦争は中国の開国を強制し、沿岸部と河川部は全面的に開放され、外国資本が陸上のさまざまな貿易港へ流入しました。こうして、外国人と大量の外国製品の急増によって、広告をつうじて中国市場の扉を開きました。

リトグラフ(石版画)を使ったカラーポスターは、清朝末期や民国期の広告にも、たくさん使われました。そんな広告に旗袍がよく使われたことは広く知られています。家族写真に使われていたこともあります。

リトグラフ技術は、これまで金属板や木板印刷にくらべ優位性をもっていて、すぐに商業広告の制作に適用されました。ヨーロッパはカラーポスター広告の時代に入りはじめました。

しかし、もともと製紙・印刷の発祥の地であった中国は、ヨーロッパで大規模な変化を遂げるなか、独自のペースでゆっくりと進みました。何世紀にもわたって開発された模倣看板の開発はすぐには変わりませんでした。

19世紀後半の中国で、印刷物の多くが白黒レベルに留まったのは、おもに産業と商業の未発達によるものです。また、何千年もの間、経済界は広告の習慣にあまり注意を払っていませんでした。これも理由の1つです。

そういうわけで、以下では、カラー写真はそのままスキャンして掲載し、白黒写真は出典からスキャンしたうえで色づけのアプリで着色しました。なかなかおしゃれです。

出典は次のとおりです。

白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年。

さっそく、いろんな旗袍の広告や写真を見ていきましょう。

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旗袍を着た女性のカラーポスター例

白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、7頁。

けっこう、複雑なアンサンブルです。少し自信がありませんが、旗袍のように見える女性用ブラウス、これは肩掛けかと思います。

小さな丸領、右衽の幅広袖、左右にスリットが開いたスカート。斜襟(大襟)、袖口、裾には縁起のいい柄が刺繍されています。西洋の椅子に座って、露出した3インチの纏足がとくに目を引きます。

白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、8頁。

上の写真の3人の女性は、3人の姉妹か、同じ男性の妻でしょう。

もともと、旗袍は、満州のひとたちが男性、女性、老若男女、金持ちか貧乏人かに関係なく着用するロングドレスでした。両側の男の子たちも旗袍を着ていますね。

旗袍とズボンのツーピース女性。民国初期。ブレスレットをつけています。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、11頁。

ブレスレットと簪をつけた女性。パイピングつきの錦段旗袍。ズボンの角も拾いふちでパイピングされています。

この旗袍は当時、最もファッショナブルだったようです。 この珍しい古写真から、中華民国初期の伝統的な中国の服装文化がわかります。外国文化の影響下で、中国の古い旗袍が分裂しはじめたのです。

白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、12頁。

上の写真は、兄弟姉妹が集まった清王朝一家の集合写真です。彼らの衣装や服装はあらゆるスタイルが混ざっています。

精密な刺繍は、この家族の高貴さを表わしています。どの服装も、まだ大人の服のミニチュアバージョンにとどまり、活気があるはずの子供たちは服のタブーのせいでやや疲れ気味。

足元の赤いタッセル(リボン)は、子供たちに可愛らしさを少し添えていますが、全体的にはドレスと互換性がなく、かなり奇妙にみえます。

右側の背の高い子供は、家族の長のように、実際に文明の枝を突っ立てています。

二人が着ている旗袍には、大襟部分をのぞいてパイピングがありません。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、13頁。

民国初期の古写真で、経験豊富な写真家だった鏡花縁の作品です。

外観の装飾、身の回り品の選択、人々の姿勢、そして化粧をとおして、キャラクターをより強調し、イメージを飾っています。ヒロイン女子の小さな纏足が痛々しいです。

この写真はカラライズ加工をしています。もとの写真はこちらです。

二人が着ている旗袍には、大襟部分をのぞいてパイピングがありません。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、13頁。

女子のズボンと足元に着色した感じです。ズボンのピンク色が華やかです。

次の写真も裕福な家のようです。

ゆったりした服と三寸金連(つまり纏足)のコントラストに出典元の著者は驚いています。とはいえ、著者は冷静な面ももっていて、写真に写った人たちは舶来品のカメラに慣れているとも。

ゆったりした服と三寸金連(つまり纏足)のコントラストに出典元の著者は驚いています。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、15頁。

旗袍にとどまらないチャイナ服のオンパレード

以下では、家族写真をいくつかご紹介します。

清末民初期は、近代中国の幕開けです。西洋文化がかなりの勢いで流入してきた時代。服を着ることにまつわる規範が揺れて、さまざまな衣装が乱立して、いろんな組み合わせが出てきたころです。

旗袍はもちろんのこと、漢服や後の中山装のモデルなどもたくさん出てきます。まさにチャイナ服のオンパレード。

お楽しみください。

ベストと長袍、ブラウスとズボン。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、18頁。

この写真は、最小限で最多のことを教えてくれます。清末民初期の人気アンサンブルです。

まず、左の女性から。

马甲といったベストを着ています。その内側は、横ボタンや袖の皺具合から、平肩連袖の旗袍かと。

ベストにはチャイナボタンを使っています。真ん中で締めるベストで、横にスリットが見えます。真ん中締めは、横締めの旗袍と特徴を二分するチャイナ服の代表です。ベストの領が高くて、中心が開き気味なのは清朝期に満族が着ていた旗袍によくありました。それを真似たベストなのか、清朝期に長期間つかわれていたものか、どうでしょう。

そして、真ん中の女性。

上衣下裤(ズボン)、つまりツーピースです。大襟が確認できるのと皺の具合から判断して、上衣は丈の短い平肩連袖旗袍。スリットも見えますね。立領は左の女性と同じく満族旗袍のものです。

ついで、右の子供。

大襟が見えるような、ないような…。漢服にしては丈が長いので、平肩連袖の旗袍かと思います。

ちなみに、この写真、色付け加工をする前は、こんなカラー印刷になっていました。

これも、数枚上に紹介した鏡花縁の作品でしょうか。ピンク色がやけにめだちます。

ベストと長袍、ブラウスとズボン。白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、18頁。

それでは、次の写真をみてみます。

古そうでモダンでもあり、保守的でもあって開放的でもあるような写真です。中国と西洋が融合した感じ。

出典元にある白黒写真をみていて私には分からなかったのですが、カラライズすると、なんと背景はイラストで、写真店で撮影したもののようです。てっきり、この4人が暮らしている家で撮影したものだとばかり思っていました。

白雲『中国老旗袍:老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、18頁。

左から2人目の人が上衣にスカートのツーピース。上衣は中心割なので、漢服ともいえるかどうか…。

その他の3人はだいたい旗袍。

左はかなり長い丈の旗袍で、ズボンかスカートかわかりません。右から二人目の女性は丈の短い袍服で、厳密には右脇腹を紐で締めていれば漢服、チャイナボタンで締めていれば旗袍といったところでしょう。

一番右の男の子の服装もよくわかりません。ワンピースの袍服のようです。領が首に隠れて見えません。大襟があるはずですが、これも不詳。

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この記事の著者
ぱおつ

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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