旗袍は2010年代から日本でよく使われはじめた言葉です。
最近、カタカナ読みのチーパオもよく使われるようになりました。
2010年ころはチャイナドレスとよく呼ばれました。
それまでの旗袍は、チャイナ服や中国服の一つとされてきましたが、日本では名前が定着しませんでした。チャイナ服や中国服は旗袍よりも広い意味をもっています。
ただ、1970年代以降、中国の文化大革命が終わってからは、チャイナ服が旗袍と同じことをさす辞典も出てきたりで、ややこしいです。
ファッション辞典にみるチャイナ服と旗袍
錯綜した旗袍という言葉をひもとくために、ファッション辞典や服飾辞典・服飾事典から、旗袍の言葉の使われ方や変遷をみてみましょう。
まず、チャイナ服や中国服という言葉のなかで、旗袍がどのように位置づけられているかを確認します。それから、旗袍がどのように書かれているか、まとめます。
服飾史やファッション史の研究でも、旗袍はやや混乱して理解されていました。とくに、1910年代から1940年代にかけての変化は、把握しにくいものでした。
田中千代『服飾事典』同文書院、1969年
チャイナ服
この事典では、チャイナ服と旗袍を二箇所に分けて説明しています。まず、「中国服」をとりあげ、ついで旗袍にも言及しています。増補版(1973年)や新版(1991年)も同じ記述です。
中国の民族服の一種。斜めの前打ちあわせの上着に男女ともズボンを組合わせたもので、上着にはチャイニーズ・カラーとキモノスリーブのような広幅の長そでがついている。日本の着物の形に似ており、平面的な裁断が特徴である。また中国の服装をまねてつくられたドレスのこともいう。これは中国の民族服の上着たけを長くし、両わきにスリットをいれた形のもので、斜めの打ちあわせには<しゃか結び>とよばれる飾りひもがついている。えりはチャイニーズ・カラーとよばれる立えりで、そでなし、あるいは長そでのものもあり、からだの線があらわになるほどからだにフィットしている。絹や刺しゅうをほどこしたサテンなどが用いられる。えりの高さ、えりのくりかげん、すそたけ、スリットの長さなどに微妙な差があり、それによって流行が示される。→みんぞくいしょう – ちゅうごく
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、529ページ
まず、チャイナ服をツーピースとワンピースに分けています。
ツーピースでは、上着にチャイニーズ・カラーとキモノスリーブのような広幅の長そでがついた衣服を定義しています。今では、この上着はチャイナ・ブラウスとよばれるものに相当します。ふつう、立体裁断が施されている中国服にも日本の着物にも、平面的な裁断という説明をつけてしまうのは、洋服に釣られた記述です。
つづくワンピースは、「中国の服装をまねてつくられたドレスのこともいう」となっています。どのようにまねたのでしょうか。
上着を長くして、両脇にスリットを入れ、斜めの打合せ(大襟)には飾り紐(チャイナボタン)がついています。これは旗袍のことです。身体のラインが露わになるほどフィットしているものですから、1940年代以降の旗袍を想定しています。
旗袍
旗袍が「中国の服装をまねて」作ったワンピースのドレスなら、誰が真似をしたのでしょうか。田中千代『服飾事典』は、北方の騎馬民族と、その衣装であった胡服に求めています。説明の後半では満州族とも書いています(これは後述)。
広大の地域と種々の民族からなる中国にはさまざまの衣服があるが、おおよそ男女とも上衣とズボン式の下衣とからなっている。周代には上衣は左右のえりを交互に重ねあわせた。北魏時代には北方の騎馬民族の胡服がはいってきた。これは筒そでで、ひざたけの上衣とズボンに長ぐつという姿である。清代に筒そで、丸えりの北方的衣服となり、中国国革命まで一般に用いられた。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
清朝期のおわりまで、旗袍の下(または中)にはズボンを穿きました。旗袍の男性版は長衫(チョンサン)といい、女性の旗袍と同じだったのは、こちらに述べました。
男性用と女性用を区別しようとし、また、各アイテムを区別しようとして書いているわりに、結局は一緒くたに書いているのが面白い点です。
田中千代も気づいていないわけではありません。長衫(ちょんさん)という項目をとりあげて次のように説明しています。
中国の代表的な女性の衣服で、ワン・ピースのことをいう。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、533ページ
でも、男性用の襖という言葉に釣られて、無理にでも女性用の長衫(のちの旗袍)と形が違うと説明しようとします。
男子は筒そで、丸えりの立えりで、右わきあきの襖(アオ=上衣)に褌子(クーツ=男女同型のズボン)、女子は男子と同型でスリットのある長衫(チョンサン、ワンビース)、または女襖(ニュイアオ=上衣)と裙子(チョンツ=スカート)か褲子(クーツ=ズボン)の組合わせか、褲子に裙子を重ねた。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
女子は男子と同型といいながら、男性用の襖の右脇は開いていて、女性用の旗袍にはスリットがあると書いてあります。どう違うのでしょうか。
つまり、男性用の襖にも女性用の旗袍にも右脇は開いていて、だからこそ、スリットがあるわけです。脇下はチャイナボタンで留めていました。
このように、女性用も男性用も、同じことをいっています。しかし、男女の違いをはっきりさせようというあまり、男性用にはルーズなとらえ方、女性用には脚を強調したとらえ方をしています。
だんだん、事典の叙述は旗袍に絞っていきます。
とくに女性の<チョンサン(長衫)>は中国の代表的な民俗衣服である。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
この事典が書かれた時期には、まだ、旗袍という言葉もチャイナドレスという言葉も、日本では定着していませんでした。それで、「女性のチョンサン」という書き方になるわけです。
つづく説明でも、やはり1940年代以降の旗袍を想定しています。
からだにびったりしたワンピースで、マンダリン・カラーあるいはチャイニーズ・カラーといわれる立ちえりがつき、両わきに深いスリットがあるのが特徴。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
身体にピッタリした旗袍は早くても1930年代以降のことです。清朝期の旗袍はまだまだゆったりしていました。
長衫(または旗袍)のルーツは次のように書かれています。
本来長衫は清朝をおこした満州族の、乗馬をするためそでと腰を細く仕立て、両すそわきに深いスリットをいれた服型にみなもとを発している。清朝がおこるとともに、この機能的な服型は宮廷にはいり、すその長い優雅なものになったが、清朝がほろびるとともに女性は長い囚習から解放され、1930年代にはひざがしらを出す国際的な流行を受けいれ、現代みられるたけの短いものとなった。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
長衫(または旗袍)は満州族がルーツでした。騎馬民族である満州族が清朝をおこしたあとの乗馬と服の関係が述べられていないので、残念です。清朝期の長衫(旗袍)は宮廷用衣装だけかのような印象をうけてしまいます。
大切なことが書かれています。
騎馬民族の満族が清朝建設のあとに宮廷入りして、旗袍が宮廷にも普及したと述べています。つまり、満族といっても騎馬(乗馬)を習慣にしている人と、宮廷入りした人とがいたわけです。前者は纏足の対象になりようがありませんので、纏足は宮廷に入った女性や、相応の身分の女性だったと考えられます。
田中千代は長衫(チョンサン)を1990年代の増補版でもとりあげています。
ゆったりした長着のこと。また、現代では中国の女性のワンピースとして広く知られている。この服の流行のポイントは、衿の高さと形、着丈、スリットの深さにある。本来長杉(チョンサン)は清朝をおこした満州族(ツングース)の服に源を発していて、当時の乗馬のため袖と腰を細く仕立て、両裾脇に深いスリットをいれた服が変形したものである。また、満州人を旗人(チーレン)とよんだことから、旗抱(チーパオ)ともいう。
出典:田中千代『新・田中千代服飾事典』同文書院、1991年、1041ページ
田中にとって長衫は旗袍だったことがはっきりわかります。
清朝期にゆったりしていた長衫(旗袍)が民国期に少しスリムに・タイトになりはじめました。
さて、田中の説明は、事典の出版された1960年代に移ります。
今日そでの短いものやノースリーブのものもみられ、胸やそでに刺しゆうがほどこされたりする。この服の流行のポイントは、えりの高さと形、すそたけとスリットの深さなどである。今日では中国の女性にかぎらず世界中で着用され、国籍不明の服型などともいわれる。
出典:田中千代『服飾事典』同文書院、1969年、843ページ
1960年代の旗袍を説明するときも、長衫という言葉を引き継いでいるので、旗袍もチャイナドレスも定着していないことを再認します。また、この説明部分は焦点がズレています。
半袖くらいの旗袍は1930年代以降の上海あたりでは確認できるとはいえ、事典が「今日」という1960年代に、袖の短いものやノースリーブのものがはやっていたのは、中国大陸ではなく香港でした。
それにしても、旗袍が世界中で着られたら「国籍不明の服型」と書くのに、世界中で着られている洋服は「国際服ともいうべき衣服」(876ページ)と記している点に笑ってしまいます。この微妙な違いには、欧米はグローバルで中国はローカルだという先入観がにじみ出ているようです。
文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年
この辞典も、中国服と旗袍を二箇所に分けて説明しています。
チャイナ服
現代の中国服には、ワン・ピース型と、二部式の上衣、ズボン型とがある。前者は男子服を袍(パオ)、女子服を旗袍(チーパオ)という。二部式は男女とも短衫(トァンサン、上着)と褲子(クーツ、ズボン型)である。
(中略)洋服の世界的普及につれて、中国でも洋服着用者が多くなり、中国服にも大きな影響を与えた。中国男子服のうち、最も洋服に近い構造をもつ短衫、褲子が日常生活服に着用されているが、中国の人民服のような、洋服テキスタイルもつくられた。ことに女子服は、スタイルを洋服化したばかりでなく、世界の洋装界へ新しいモードとして進出した。その時期は、中華民国以降(1912~)であり、とくに第2次世界大戦後のファッション界で、中国服をデザインの原点とされることがある。
出典:文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年、512ページ
現代の中国服として、ワンピースの長衫と旗袍がとりあげられています。長衫を袍と記している点に注意。田中千代のところにも書いたように、長衫と旗袍は名前が違うだけで、形の違いはありません。
ツーピースでは上衣の短衫にたいし、下衣にズボンが着用されると書かれていますが、スカートの記述がないのが不思議です。旗袍は次のように位置づけられています。
満州系の中国服は、世界諸民族服のうち、きわめて洋服に近い。
出典:文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年、512ページ
どんな点で旗袍は洋服に近いのでしょうか。田中千代『服飾事典』なみに文化出版局編『服飾辞典』もヨーロッパ中心主義に偏っているため、説明に期待はできません。
旗袍
古代遊牧民族の満州服は、ズボン型のもであるが、上衣のスタイルは円筒形で、洋服式である。なお中国の椅子、寝台の生活様式が洋風と似ているため、その服装は洋装化しやすい。
出典:文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年、512ページ
旗袍のルーツである満州服はツーピースで着用され、上衣にかぎると円筒形の袖をもっていたと述べています。
ただし、上衣のスタイルが円筒形なら洋服式となる点は、円筒形の上衣の歴史でヨーロッパが中国よりも先行していた点を説明してからいえることです。
椅子や寝台が洋風だから服装も洋装化しやすいと述べる点も未検証です。ヨーロッパの椅子や寝台は中国のそれらを取り入れてきたというシノワズリの歴史をどうとらえるかについても言及してほしいところ。
民国旗袍に限定して洋服化を述べるなら、次のように説明できるはずです。
この文化出版局編『服飾辞典』が辛うじて良いのは、旗袍を独立してとりあげている点です。
中華人民共和国の成立(1949)以降の中国で広く用いられていた、いわゆる中国服のことで、清朝(1616~1912)を支配した満州族固有の服装をいう。旗は清朝の軍事行政制度で、漢人は満州人のことを旗人ともいうから、旗人の用いる服装という意味で<旗袍>という名がつけられた。清朝が崩壊し中華民国が成立(1912)した後も、漢人、満人の区別なく広く中国全土に旗袍が用いられ、中国本土はもちろん広く東南アジアの華僑(かきょう)の間にも用いられた。今日でも台湾、香港(ホンコン)をはじめ中国の奥地の住民や海外の華僑の間で、中国服として愛用されている。旗袍には、裏地のついた袷(あわせ)、または綿入れの袍(パオ)と、単(ひとえ)の衫(さん)があり、袍は丈が長く盤領(あげくび)の交襟(こうきん)で、前身頃が体の前面を覆い、右脇をトンボ頭の紐釦(ひもボタン)で留める形式のもので、衫の形状もほぼ同型である。また、袍と同一形状のもので丈の短い襖(あお)があるが、これには対襟で前面中央をトンボ頭または貝ボタンで留めるものもある。下衣は褲子(クーズ)と称するズボン形式で古代の袴(こ)に相当し、その形状も袴と同じで、褲子にも単や綿入れがある。また、日本の羽織に相当する馬掛児(マーコール)とよぶ上衣があり、対襟で袍または衫の上に着用し、礼装として用いることがある。袍、衫、褲子などはいずれも男女同型であるが、女子がおもに用いる上衣に袖なしの背心(ペイシン)があり、袍、衫の上に着用し、礼装または防寒用に用いている。このほか、若い女性は女衫(ニュイサン)と称する裾が膝丈の単で、裾の両脇の開いた夏服がある。なお、公式の場合には成年に達した女子は巻きスカート式の裙子(クンズ)を褲子の上に着用するが、これは古代の裳に相当する漢民族の風習で、一部形式の旗袍に併用する例は少ない。
出典:文化出版局編『服飾辞典』文化出版局、1979年、512ページ
誰も聞いていない羽織などの着物(和服)の言葉で書こうとするので、とても分かりにくい説明になっています。
丁寧にみていきましょう。
旗袍は満州族固有の服装で、中華民国が成立したあとも、中華人民共和国が成立したあとも、国内をはじめ、東南アジアの華僑、台湾、香港などで、いわゆる中国服として着られてきました。
文化出版局編『服飾辞典』は生地の組み合わせから、旗袍を次のように区別しています。
- 裏地のついた袷
- 綿入れの袍
- 単の衫
このうち、綿入れの袍は民国期に消滅しました。旗袍がスリム化したからです。また、旗袍の形態を次のように特徴づけています。
- 盤領…立領
- 交襟…大襟
- トンボ頭の紐ボタン…チャイナボタン
- 前身頃が体の前面を被覆
旗袍の説明のなかに、前身頃を前面中央で割った中山装の説明を入れているので、ややこしいです。中山装とは「袍と同一形状のもので丈の短い襖」で、「これには対襟で前面中央をトンボ頭または貝ボタン」を留めると説明しています。中山装は対襟、つまりシンメトリー(左右対称)な打合せなので、アシメトリー(左右非対称)の「袍と同一形状」と書いてはいけないでしょう(笑)。
そのあとの記述は、旗袍とのアンサンブルについて。
文化出版局・文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』文化出版局、1999年
次に紹介するのは文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』です。チャイナ服をチャイニーズ・ルック(Chinese look)、旗袍をチャイニーズ・ドレス(Chinese dress)とチーパオの2項目でとりあげています。
チャイナ服
中国の伝統の服をアイディア源にしたファッションのことで、マンダリンあるいはチャイニーズ・カラーとよばれる立ち衿や、アシメトリーな打合せ、深いスリット、絹ひも製のチャイナボタンなどがデザインの特徴。→マンダリン・カラー、チャイナボタン
出典:文化出版局・文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』文化出版局、1999年、209ページ
特徴としてあげられているのは、
- マンダリン・カラーやチャイニーズ・カラー…立領(たてえり)
- アシメトリー(左右非対称)な打合せ…大襟
- 深いスリット
- 絹ひも製のチャイナボタン
です。2点目のアシメトリーな打合せから、チャイニーズ・ルックは旗袍のことだとわかります。シンメトリー(左右対称)の打合せなら中山装になります。
このように、チャイニーズ・ルックは中国の伝統服として、チャイナ服のようにとりあげてはいますが、書いている内容は旗袍になっています。20世紀末のチャイナ服といえば、旗袍だったのでしょう。
旗袍
中国の伝統的なドレス。体にそうようなシルエット、ももまでの深いスリット、スタンド・カラー、衿もとのあきは斜めに右の脇線まで続き、フロッグ・ボタン(チャイナボタン)で留められる。
出典:文化出版局・文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』文化出版局、1999年、5ページ
この辞典が出版された1999年までの約半世紀の旗袍に限定して説明しています。伝統的なドレスといいながら、身体にフィットするシルエットや深いスリットは洋服化した旗袍です。「衿もとのあきは斜めに右の脇線まで続き」という点は、チャイナ服の説明に出てきたアシメトリー(左右非対称)な打合せのことです。
「チーパオ」という項目でも旗袍をとりあげています。
中国女性が着用するワン・ピース型の伝統衣服。チーパオとよばれた、清朝満州族の女性の長衣が、洋装を取り入れながら全土に普及していったものである。両裾にはスリットが入り、右前をひもボタンで留める形式で、チョンサン(本来は単の長衣の意)ともいう。
出典:文化出版局・文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』文化出版局、1999年、625ページ
結局、文化出版局・文化女子大学教科書部編『ファッション辞典』は、チャイニーズ・ルック、チャイニーズ・ドレス、チーパオの3項目を同じもとして扱っています。
ほかの辞典・事典
バンタンコミュニケーションズ編『新ファッションビジネス基礎用語辞典』
この辞典は「チャイニーズ・ルック」をとりあげ、次のように説明しています。
中国の伝統衣服からインスピレーションを得たスタイルで、チョンサン(長衫)やニュイアオとよばれるチャイナ服(ドレス)の要素が取り入れられている。マンダリン・カラー、あるいはチャイニーズ・カラーなどとよばれる立ち衿、絹の紐でつくられた釈迦結び(しゃかむすび)ともよばれる装飾的なボタン(チャイニーズ・ボタン)、深いサイド・スリット、アシメトリーな打ち合わせなどがその特徴的なディテールとして知られる。
バンタンコミュニケーションズ編『新ファッションビジネス基礎用語辞典』増補改訂第7版、チャネラー、2003年、59・60ページ
ニュイアオは女襖と書きます。下にスカートかズボンをあわせるので(田中千代『服飾事典』のところで既述)、長衫に対して短衫といったところでしょうか。ディテールの特徴にあげられているのは、立領、チャイナボタン、スリット、大襟の4点です。
モード辞典編纂委員会編『モード辞典』
モード学園の出している『モード辞典』では「チャイニーズ・ルック」の項目に、
中国の伝統的な民族衣装からイメージを得た装いの総称。多民族国家だけに、各民族それぞれに独特の衣装をもつが、ファッションでは清朝を起こした満州族の女性が着た、チョンサンというドレスを原型とするものをさす。身体にフィットしたシルエット、アシメトリーな打ち合わせ、裾に深いサイド・スリット入り、マンダリン・カラー、組み紐使いのボタンが特徴。
出典:モード辞典編纂委員会編『モード辞典』モード学園出版局、2004年、519ページ
また、「ドレス」の下衣項目「チャイニイーズ・ドレス」に、
中国で旗袍(ちーぱお)とよばれている伝統的なドレス。特徴としては、チャイナ・カラーといわれる独特の立ち衿や身体に沿ったシルエット、太ももあたりまで深く入ったスリットのほか、衿もとから右脇の下にかけての前開きをチャイナボタン(フロッグ・ボタン)で留めるスタイルなどがあげられる。起源は、清朝時代の満州族の民族衣装で、現在の形になったのは、1930年に清王朝から中華民国へと変わり、西洋文化が入ってきた頃とされる。
出典:モード辞典編纂委員会編『モード辞典』モード学園出版局、2004年、577ページ
この辞典では、チャイニーズ・ルックをチョンサンに限定して、チャイニイーズ・ドレスを旗袍に限定しています。二つの記述を比較してまとめると、次のとおりです。
チャイニーズ・ルック(チョンサン) | チャイニイーズ・ドレス(旗袍) |
身体にフィットしたシルエット | 身体に沿ったシルエット |
アシメトリーな打ち合わせ | 衿もとから右脇の下にかけての前開き |
裾に深いサイド・スリット入り | 太ももあたりまで深く入ったスリット |
マンダリン・カラー | チャイナ・カラー(立ち衿) |
組み紐使いのボタン | チャイナボタン(フロッグ・ボタン) |
チョンサンと旗袍とを同じ意味に使っていることになりますが、明記はしていません。
かなり残念なのは、付されたチャイニーズ・ドレスのイラストが中央開きの中山装タイプになっていることです。イラストは合わせてほしいです。
なお、チャイニーズ・ルック、チャイナ服、旗袍などをまったくとりあげていない辞典・事典は次のとおりです。
- 杉野芳子編『(最新)図解服飾用語事典』鎌倉書房、1986年…チャイニーズ・カラーやチャイニーズ・スリーブはあり。
結論
網羅的ではありませんが、手持ちのファッション辞典類をざっとまとめてみました。
旗袍が辞典や事典であまり取りあげられなくなったのは2000年頃でしょうか。言葉よりも衣服そのものの方が私たちに早く迫るようになったと感じます。
これまで紹介した説明をまとめると、次のようになります。
清朝期の長衫(チョンサン)は、いつ旗袍(チーパオ)とよばれたかはわからないが、遅くとも中華民国期には旗袍とよばれました。その後、長衫と旗袍は名前上で男性用と女性用に区別されましたが、服の形は同じでした。その後、いろんな辞典や事典では、編著者の意向に左右されて、チグハグに説明されてきました。ただ、似た説明になっている旗袍の特徴は次の4点をあげられます。
- 立領
- 大襟
- スリット
- チャイナボタン
身体にフィットしたシルエットも特徴にあげている本もありましたが、それは1930年代以降の旗袍です。清朝期や民国初期の旗袍(長衫)をふくめませんので、特徴としては弱いかと。
どの辞典も旗袍の袖の長さに言及しているものの、袖つけについて述べていないことに気づきます。民国期の近代旗袍と今の現代旗袍では袖つけのあり方が変わっています。連袖から接袖になりました。この変貌が意味したことは次の記事をご覧ください。
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