キモノ・スリーブは分かりにくいファッション用語の一つです。
漢服、旗袍、着物、チョゴリなどに使われてきた「連袖」を西洋人は「キモノ・スリーブ」(kimono sleeve)と名づけました。
よく勘違いされますが、キモノ・スリーブは着物の袖(着物袖)とは違います。
- キモノ・スリーブ…タイトな連袖
- 着物の袖(着物袖)…広幅(ルーズ)な連袖
日本の服飾史研究者や一般の日本人たちは、連袖なら何でもキモノ・スリーブだとして、この二つを一緒くたに理解してきました。
着物はキモノ・スリーブじゃなくてドロップ・ショルダー(後述)。
そもそも袖は日本のファッション用語・服飾用語でもっとも混乱している部門です。
この記事ではキモノ・スリーブの日本での誤用をはじめ、キモノ・スリーブを取り巻くファッション用語を整理します。
そしてキモノ・スリーブに西洋人がみたものを解釈します。
キモノ・スリーブの日本での誤用 : ファッション用語で難しい「袖」
中国語の接袖や装袖は日本語でセットイン・スリーブといいます。英語表記は「set-in sleeve」。
日本語でセットイン・スリーブを普通袖ともいいますが、これは洋裁を基準とした「普通」です。
他方、身頃と肩と袖が裁たれていないのが連袖。
あえて英語でいえば「continuing plain sleeve」あたり。これ該当する日本語はなんと日本でキモノ・スリーブ(kimono sleeve)と呼ばれてきました。
この言葉は1920年代の発生直後から他ならぬ日本で誤用されてきました。
上の写真はレースの袖と身頃は裁たれずに構成されています。
このような無裁断の袖が中国の連袖や日本の着物袖のことだと、20世紀初頭の西洋人が比喩ました。このウェディング・ドレスのようなシース・スタイルは、当時の日本で子供服を中心に流行しました。
呼称の発端
キモノ・スリーブと呼ばれた発端はシース・スタイル(Sheath Style)です。
このスリーブのスタイルの一部はフラッパー・ドレス(flapper Dress)に重なります。
シース・スタイルとの関係
シース・スタイルが1920年代の西洋で注目されたとき、キモノ・スリーブと呼称されました。
当時の中国は辛亥革命後の政情が不安定で、衣服形態も変動的でした。
旗袍も着物もシース・ドレスといわれますが、旗袍の洋服化が1920年代以降に進行するので、シース・スタイルの範例にはなりませんでした。
このため、1900年頃に洋服化していた和服(着物)がシース・スタイルの代名詞となりました。
20世紀初頭の中国で政情が安定していれば、間違いなく広袖をチャイナ・スリーブやチーパオ・スリーブと名づけたはずです。
服飾用語集やファッション歴史の本には、シース・スタイルをキモノ・スリーブと西洋人が呼んだ理由にジャポニズムの流行があったと述べるものが多いです。
これは間違っています。20世紀初頭にジャポニズムにも増してシノワズリが大流行したからです。
よくシース・スタイルはウェディング・ドレスが念頭に置かれます。
しかし、上の写真のように、ふつう、ウェディング・ドレスの袖はかなりタイトです。着物袖とはぜんぜん違います。
キモノ・スリーブに西洋人がみたもの
1920年代に西洋人はシース・スタイルの一種にキモノ・スリーブと名づけました。
もし、このキモノ・スリーブが着物袖なら、前近代も近代も着物の袖が広袖だった以上、キモノ・スリーブもルーズなはず。
西洋人がルーズな着物を見てシース(タイト)だと理解したのは恐らくボディです。
接合的に解釈します。
西洋人はボディがタイトで寸胴な点から着物をシースだと理解し、他方、着物が広袖をもっている、つまり「本来はタイトな袖のはずなのに」という違和感をもったと推測します。この違和感部分をキモノ・スリーブだと特別視したのでしょう。
シース(Sheath)とはナイフや剣などの刃物用の密着したカバーのことで、これを衣服の言葉でいえばタイトに尽きます。
ですから、シース・ドレスやシース・スタイルはタイトな衣服に使われます。なのに袖だけがルーズだという違和感、これが「キモノ・スリーブ」の発生でしょう。
キモノ・スリーブと着物袖の違い
さて、キモノ・スリーブは辞書で次のように説明されます。
身ごろとそでと一続きに裁った袖のことで、短そで、七分そで、長そでなどとして用いられる。この名称は日本の着物から生れたものである。厳密にいえばキモノ・スリーブは短そでで、肩とそで縫目がないものである。これは日本の着物の身ごろの部分(身ごろは肩幅より広く、そでの部分にまでくいこんでいる)だけをさして、キモノ・スリーブと名づけられたものと思われる。またこれをフレンチ・スリーブ(French sleeve)ということもある。(田中千代『服飾事典』478頁)
しかし、日本の着物は「キモノ・スリーブではなくドロップ・ショルダーというべき」ものであって、「キモノ・スリーブを、日本のきものの特異なたもとをさしていう場合もあ」ります(大丸弘「西欧人のキモノ観」(『国立民族学博物館研究報告』第8巻4号、1983年12月、784頁)。
下図の衣服と同じく、着物は前身頃の分離した状態で肩と袖が繋がっているので肩から布が垂れ下がった状態になります。
この状態を大丸弘はドロップ・ショルダーだと的確に指摘したわけです。
1920年代に西洋で日本の衣装が注目されたという糠喜びに浸ったまま、肩と袖が繋がっている点に注視しすぎ、身頃との関係を戦前日本の衣服史家や教育者たちは見過ごしてしまいました。
肩と袖が繋がっている袖のすべてを「キモノ・スリーブ」と呼んでしまったのです。
チャイニーズ・スリーブ(中国袖)
次にチャイニーズ・スリーブをみると、次のように説明されます。
「キモノ・スリーブの極端に短いもので、シナ服に用いられているところからこのようによばれている」(田中千代『服飾事典』480頁)。
田中はキモノ・スリーブをフレンチ・スリーブと同義だと書き、他方でチャイニーズ・スリーブはキモノ・スリーブの一種だと説明しています。
これら3つのスリーブを同じだと書かない点に、フランス被れの日本贔屓がみえみえです…。
そもそも、古代に中国から裁縫技術を導入した日本で長期にわたり使われてきた連袖をキモノ・スリーブという言葉で説明するのは転倒しています。
また、現代までの和服・着物は古代から中国で着用されてきた唐服や漢服を踏襲しているため、せめて≪チャイニーズ・スリーブの七分袖版をキモノ・スリーブとよぶ≫と説明すべきでしょう。
次の衣服は1920年代に制作された中国服です。
腰辺りまできている袖が「キモノ・スリーブの極端に短いもの」といえるでしょうか?
おそらく田中千代は、同じ女性用民族衣装として、着物にたいして民国初期の旗袍を想像したのでしょう。
民国初期(1910年代・1920年代)の旗袍は二の腕までの袖丈が多かったのです。
日本のファッション用語の限界
日本のファッション用語には「西洋=日本>中国・朝鮮」という構図が染みついています。
≪永遠の脱亜入欧≫と≪開花以前≫というしかない著しい偏向がみられます。
換言すると、日本衣服史研究における衣服形態の説明には、洋服との差異に注目する一方で中国や朝鮮との類似性を無視する傾向がめだちます。
一例を挙げましょう。
被服文化史は、日本と西洋をあつかうだけで終るものではない。ここであつかわなかった地域、たとえば、アフリカ、南米、インドなどの被服文化史が成立しないわけではない(元井能『日本・西洋被服文化史』光生館、1970年、3頁)
として、著者の元井能は中国や朝鮮を念頭においていません。
以上、ファッションを勉強するには日本語の利用に注意するか利用を控えるのが無難です。
私は著書や論文で日本語の用語は補助的に用いるにとどめ、意味を豊富に提供する英語・中国語にもとづいて説明を行なってきました。
先ほどながめたチャイニーズ・スリーブに関する転倒した説明をする人は田中千代だけではありません。
田中は戦後の日本ファッション業界に大きな影響を与えた人物の一人です。西洋だけでなく他の諸地域の服装も丹念に踏査した実績をもちます。中国にも調査に行きました。
しかし、田中から後の世代は脱亜入欧観の悪癖や開花以前の偏見をもったままなのです。
もっとも悪癖や偏見のつよい文献が次。
- 深井晃子監修・文化出版局編『ファッション辞典』文化出版局、1999年
- バンタンコミュニケーションズ編『新ファッションビジネス基礎用語辞典』増補改訂第7版、チャネラー、2001年
「キモノ・スリーブ」や「チャイニーズ・スリーブ」の項目に、田中とほぼ同一の記述をしています。
後者は増補改訂版ですが、比較的古くから知られているチャイニーズ・スリーブに関する修正はいまだに行なわれていません。
タイトな旗袍は「シース・ドレス」:キリがないファッション用語
「スウィンギング・シクスティーズ」という1960年代イギリス文化の写真集には、1963年5月づけの白黒写真で若い男女カップルがツイストダンスを踊ってる場面があります。
踊る女性の説明に、スージー・ウォン風のシース・ドレスを着ていると書いてあります。この女性が着ているドレスは旗袍です。つまり、タイトな旗袍は英語でシース・ドレスということもあるわけです。
とにかく、ファッション用語にキリがなく、どの観点から名づけたかを理解しないとカオスです。
コメント