旗袍(チャイナドレス)とミニドレスの関係

歴史(テーマ別)
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旗袍とミニドレスの関係を考えています。

旗袍のミニドレス化はヨーロッパでのミニドレスの流行から影響を受けたのでしょうか。

これまでのファッション史研究では、1960年代のヨーロッパに起源を求めるものが多かったのですが、はたして実際はどうでしょうか。

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1960年代香港の旗袍

ふつう、1960年代香港の旗袍が膝頭を見せる丈だったことは、ナンシー・クワン(關家蒨)が1960年に出演した「スージー・ウォンの世界」でイメージされています。

ナンシー・クワンが演じたスージー・ウォンの黒色ミニの旗袍。 via The World of Suzie Wong (1960) | Pretty Clever Films

ただ、この映画での旗袍の丈はかなり短い方です。もう少し1960年代の香港へ視点を近づけてみましょう。

次の写真は、邱良(YAU Leung)が撮影した香港の路上の旗袍女性たち。1961年に撮影されました。

photo by 邱良(YAU Leung), グロスターロード(Gloucester Road), Hong Kong. via 香港影像・兩代觸覺:邱良・李家昇

この写真では、膝頭が見えるような見えないような、微妙な丈です。

この丈は、1960年代香港を舞台にした映画『花様年華』でも再現されています。膝を曲げて座ると、膝頭が見えます。

ウォン・カーウァイ『花様年華』©2000 by Block 2 Pictures Inc.

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旗袍(チャイナドレス)のミニドレス化

映画『花様年華』では膝丈の旗袍がたくさん登場しました。1920年代・1930年代頃の旗袍に比べると、はるかに丈が短くなっています。

そこで、当時の様子を示す記事を参照してみます。

ミニスカートは1960年代の傾向でした。ミニの旗袍が香港でリリースされた結果、残念なことに多くの人々の非難をかき立てました。なぜなら、民衆はミニの旗袍を伝統的な中国衣装として容認できないとみなしたからです。新しいドレスが香港の庶民たちを怒らせた理由には次の2点が挙げられます。

  • 厚手で緩くフィットしていたドレスは、薄い生地に置き換えられました。さらに、このドレスは強くフィットする布地で設計されていました。実際に多くの女性がセクシュアリティを表現し、自分の身体ラインを示し強調しました。これは中国のイデオロギーのすべての規則に反していました。
  • ふくらはぎ以上の旗袍はより短いものに代わりました。これは余りにも多くの肌を露出しました。

(出典 : evolution-of-qipao-cheongsam-dress- History of traditional chinese dress

ここではミニスカートが1960年代の世界的傾向であったこと、その傾向のもとで香港の旗袍の丈も短くなったことが述べられています。2つの理由からミニドレスとしての旗袍は不評でしたが、女性たちは積極的にミニの旗袍を着たことも分かります。ただ、世界的なミニの流行が旗袍に影響したと示されているだけで詳細は不明です。

次いで香港テーラーの張氏(Mr. Cheung)にインタビューした「The New York Times」から。

1950年代の旗袍には新しい要素が登場しました。細くなったウェスト、バスト・ダーツやウェスト・ダーツなどです。この段階で旗袍は西洋の衣服と融合しました。1970年代初めにミニスカートが導入されて、非常に短い旗袍が出てきました。

(出典 : History of a Dress, Chinese Style – The New York Times

この記事ではミニスカートの旗袍への影響は1970年代初頭とされています。ちょっと遅い印象ですが、とりあえず時差の範囲かと。

ここでも世界的なミニドレスやミニスカートの流行が旗袍に影響したは記されていますが、影響の構造は不明です。

他方、中国大陸では、1934年の旗袍に膝頭の丈があったといわれています。ヨーロッパで人気だった半ズボンの影響のようです。

このことをふまえると、1960年代の同時代性から香港とヨーロッパだけで考えるのは、狭いです。

それでは、ヨーロッパでのミニドレス化やミニスカート登場は、どうだったのでしょうか。

ヨーロッパのミニドレス(ミニスカート)

1960年代前半にファッションデザイナーのマリー・クワントはロンドンでミニドレス(ミニスカート)を大量に販売しました。

1960年代半ばにアンドレ・クレージュはオートクチュールのファッションショーでミニドレス(ミニスカート)を披露しました。

下の写真はクレージュがデザインしたワンピースドレスです。この頃のミニ・スカートは膝頭が見える程度でした。

イエロー・ストラップ・ガール。アンドレ・クレージュ作、ピエール・ブーラ撮影。「ライフ」誌、1965年5月21日、49頁。Yellow Strap Girl, © André Courrèges, photographed by Pierre Boulat, “Life”, May 21, 1965, p. 49

この丈を1960年代香港の旗袍が踏襲していたかは、やや疑わしいところ。

結論:旗袍(チャイナドレス)とミニドレスの関係

1950年代まで、世界のあちこちで膝丈程度のスカートが流行りだし、1960年代になって膝頭がすべて露呈するようになった経緯が、ミニスカートの歴史の始まりだと考えられます。

ミニドレスの開発はマリー・クワントが先かアンドレ・クレージュが先かという英仏論争がありますが、二人とも他地域の先行したミニ化を導入したとも考えられます。

ぱおつ
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旗袍のミニドレス化とヨーロッパ服飾史との関係は密接なはずですが、このシンクロの展開は1960年代よりも以前にまでさかのぼれそうです。

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この記事の著者

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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