民国期の改良旗袍とは何だったのか

歴史(テーマ別)
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1920年代からはじまった旗袍の変化。

この変化は中華圏や日本でよく改良旗袍といわれます。すると、1920年代には改良される旗袍が存在したことになります。

他方で、旗袍は清朝期の旗装袍や長袍を民国期につくったものだという説もあります。

では、なぜ、存在しなかった旗袍が改良されたのでしょうか。旗袍の歴史は意外に複雑です。

1920年代には改良される旗袍が存在したとすれば、一応、この根拠は、1910・1920年代の民国服制と服制條例で旗袍という言葉が明記されたことに求められそうです。

それでも、改良されるはずの旗袍は、服制によって規定されていたのですから、謎は深まるばかり。

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改良旗袍

民国期の改良旗袍は何だったのか、当時の人たちの旗袍へのこだわりを拾っていきたいと思います。

画报女郎所穿的服饰也在不断变化,封面女性服饰主要有袄裙、女学生装、旗袍、洋装。起初封面女性多穿着宽松的袄裙,袄裙是满汉女装的结合,一直是传统女性固有的穿衣方式,到了三十年代后期,袄裙逐渐突出女性服装舞台,旗袍取代了它的位置。女学生装在女学开办后逐渐流行起来,女学生装简洁大方,女学生加上齐耳短发,使这批女学生成为青春的代名词,所以一些不是学生的女性也穿上学生装。
https://www.sohu.com/a/424837942_557768

画報「良友」のイラストの女子が着るコスチュームは絶えず変化しました。

表紙を飾ってきた女性コスチュームは、主に袄裙(ジャケットとスカート)、女子学生服、旗袍、洋服などがありました。

当初、表紙の女性は寛大でルーズな袄裙を着ていました。これは満族と漢族の婦人服を組み合わせたもので、伝統的な女性の服装に独特な方法でした。清末に満漢融合が生じたので、これを1920年代からみて伝統ととらえているのでしょうか。

1930年代後半になると、 袄裙は徐々に女性衣装の舞台から消え、旗袍が表舞台に立ちました。

あいついで女子校が開校して、だんだん女子学生服の人気が高まり、シンプルでゆったりとした服と、耳までみえる短い髪が若者の代名詞となりました。学生以外の女性も学生服をファッションとして着るようになっていきました。

洋装款式新颖、穿着方便等特点也吸引大批追求时尚的女性,洋装搭配旗袍也另有一种美。服饰不断变化,从侧面反映出民国女性思想从封闭走向开放。《良友》画报一百多期的封面几乎是女性的旗袍展,画报中刊登了各式各样的旗袍。旗袍起初袍身宽大,无美感可言,到了20年代末期,旗袍受到西方文化的影响,腰身逐渐收紧,经过改良的旗袍慢慢变成人们喜爱的服饰,并且成为民国女性的代表服饰。旗袍可根据个人喜好、身材自行裁剪,布料也可根据自身经济状况进行选择,所以受到民国女性的热烈追捧。旗袍将中西服饰文化兼容并蓄,将西方的服饰文化加入旗袍中,使旗袍变得更加时尚美观。穿着改良旗袍的女性成为东方女性的标志,她们带给人们朦胧的美感,在不同封面中的旗袍蕴含了不同时代的文化韵味和时代的印记。
https://www.sohu.com/a/424837942_557768

洋装の斬新なスタイルと着やすさは、ファッションを求める女性の多くを魅了しました。

といっても、旗袍を着るのはまた別の美しさでした。衣装の変化は、民国女性の考えが、閉じた状態から開いた状態に変わったことを反映していました。

『良友』の100号以降の表紙は、ほぼすべて、女性の旗袍が表紙を飾り、あらゆる種類の旗袍がイラストに掲載されました。

当初、旗袍は幅が広く、美意識に乏しかったのですが、1920年代後半に、 旗袍は西洋文化の影響を受け、だんだん腰が引き締まりました。改良された旗袍(改良旗袍)は次第に人気のドレスとなり、民国女性の代表的なドレスにもなりました。

旗袍は、個人の好みや体型に合わせて調整することができ、また、自分の経済状況に応じて生地を選択することもできたため、民国女性は熱狂的に旗袍を求めました。旗袍は、中国と西洋のドレス文化を統合し、以前よりもファッショナブルで美しいものになりました。改良旗袍を着た女性は、東洋女性の象徴になり、人々にうっとりした美しさを与えました。さまざまな表紙の旗袍には、さまざまな時代の文化的魅力と時代の痕跡が含まれていました。

このブログでは、1920年代後半に 旗袍がスリムになったことが人気の一つに挙げられています。それは中国と西洋のドレス文化の統合でもありました。いわゆる、中西合体とか中体西用とか。

昨晩、別のブログで、陸梅さんの『旗袍时尚情画』を知って、旗袍の洋服化って長袍の女性化でもあったことがやっとわかったんです。

民国期の女性たちは、清代と違う女性になろうとしたし、1910・1920年代の民国服制と服制條例で男女同型とされた長袍で女性らしさを出そうとしたんですね。長袍(旗袍)の形態面は洋服化して、精神面で女性化しようとしていたと思ったわけです。

清朝期の伝統を意識することで、民国期の伝統をつくっていく。なんか活気があったんだろうなと思いました。

それにしても、改良旗袍というと、どうしても清朝期の旗袍を前提にしているのだと思います。

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今でもつづく改良旗袍

今年、2021年は中国共産党が成立して100周年。これをうけてか、民国期を1世紀で語る傾向がめだっています。

最近、中華民国が暑すぎる!ニー・ニー(倪妮)のチャイナドレスの饗宴ドラマ「1921」は1億元以上の興行収入で幕を開けます。見ないでいられますか?https://fashion.sina.com.cn/s/tr/2021-07-09/2201/doc-ikqcfnca5633781.shtml

という挑発的なタイトルのブログを発見。最近のコスプレイヤーやモード業界でも改良旗袍が注目されています。旗袍の4要素の何を削っているかは作品次第。

どうも4要素のうち、大襟削って胸元見せるのだけは、どんだけ譲っても旗袍に見えない、そんな作品もしばしば。

モデルさん綺麗だけど、これ大襟がなくて対襟じゃん。

でも大襟を工夫したおしゃれな旗袍もあります。

たとえば、大襟がもはや襟ではなくても、こんなラインで残しているものとか。

旗袍的叛逆姿态,密扇玩得炉火纯青。

生地の斬新だったのは、デニム地でカジュアルさと硬さの両方を表した、これとか。

#旗袍如何穿出时尚感# 喏,乐町的旗袍你值得拥有 via 啊爆爆_Boom

ついで、現在CCTVで放送されている、中央ラジオ・テレビ局(中央广播电视总台)が創立100周年を記念して制作した歴史テレビ「大决战」(大決戦)。

このドラマでは、安冬が演じる傅冬菊の改良旗袍に焦点となりそう。この改良旗袍は、年齢感のある肩までのパーマ、やや淡いメイク、柔らかく軽い新時代の旗袍、コートの組み合わせとして注目されています。

最近の改良旗袍といわれる作品をざっと見ると、

  • 露出化が脚だけでなく、首元や胸元にまで広がっている
  • 裾が広がってAラインになっている

この2点が目立ちます。

地球温暖化を反映してか、これまでのタイトなイメージに疲れたか。改良の方向にルーズさがあることは間違いなさそうです。

長衫の改良

旗袍は、日本統治下の台湾では長衫といわれ、現在は旗袍というそうです。むかし、ちゃんと調べたつもりでしたが、知らなかった…。

日治時期的「長衫」,也就是我們現在稱的「旗袍」。臺灣早期慣稱為長衫,意即長及腳踝的連身衣著。
https://udn.com/news/story/12681/5591518

台湾では清朝期の長袍を長衫とよんだのかと思いましたが、次の文を読むとそうではなさそう。

與當時傳統台灣服不同的是,長衫因為使用了西式的立體剪裁,更能凸顯女性曲線的美,1930年代傳入台灣後,逐漸在都會地區流行。一些中上階層的家庭、都會女子、或是咖啡店的「女給」(店侍),都忍不住敗在它的魅力下。
https://udn.com/news/story/12681/5591518

長衫が西洋的な立体裁断を使って女性の曲線美を出したということです。長衫のラインは変わったけど、名前は変わらなかったんですね。

旗袍の洋服化は立体裁断に留まるような温いもんじゃないので、まだこんな言葉を使っているのかと驚きましたが、20世紀前半に旗袍という言葉が台湾ではあまり定着していなかったようで、勉強になりました。

結論

あれこれ新しい旗袍を見ているとすぐに時間が飛んでしまうので、このあたりで結論。

改良旗袍は一時的なものではなくて、今もつづく動き。若手デザイナーやモデルが中華圏ではどんどん刷新されて、時代を動かしているんだなぁと感じました。

民国期の改良旗袍とは、

  • 清代の長袍(旗装袍)のフェミニン化のスタート…長袍の女性化
  • 清代の長袍(旗装袍)の形態改良のスタート…旗袍の洋服化

でした。

改良旗袍の存在は、女性らしさ・女子らしさをつねに考え直す機会にもなっていたんですね。

キモノが一面的な女性らしさを強要する点と大きく違うなと感じた今朝の長いネット調査でした♪

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ぱおつ
この記事の著者

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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