民国期になって、旗袍はスリム化とボディコンシャス化にすすみ、形が大きく変わりました。この変化を旗袍の洋服化といいます。
旗袍の洋服化は、接袖の導入で完成します。
ダーツとは
ダーツとは、布を内側につまみ、凹んだ内側を縫う技術です。ダーツを使えば、つまみ周辺の布は円錐状になります。
民国期中国では連袖が継続する一方で、斜肩接袖が登場して、平面を立体に着る矛盾は克服にむかいました。
この矛盾を解決したもう一つの方法がダーツでした。今でも、しばしば、旗袍・着物・アオザイなどに使われています。
英語でdart(darts)、投げ矢の意味が語源。中国語で省道。
旗袍にたいするダーツの作用
次の図は、別のページで実験衣としてとりあげた裁断図です。
この裁断図はつまむ形を示していて、穴が空いているわけではありません。
実験衣2には、
- 腋窩から乳頭へ向かう胸ダーツ(図6の①に2点)
- 乳房下半分から垂直に腹部へ向かう前腰ダーツ(図6の①に2点)
- その背面に施される後腰ダーツ(図6の②に2点)
の3種が使われています。
布を内側につまむため、ダーツが施された箇所は身体側に食い込ます。
その結果、〈1〉と〈2〉によって布の腹部が身体に近づき布の胸部が盛り上がります。
また、〈3〉によって布の腰部が身体に近づき布の背中と尻部が盛り上がります。ダーツはボディコンシャス化を強めるため、1970年代・80年代頃の旗袍にも利用されていないことが多いです。
ダーツを使うことで最も強調されるのが乳房部分です。ダーツは、胸を締めつける習慣(束胸)の衰退と並行して、1930年代後半頃に導入されました。
民国旗袍の一部は、束胸とあいまって、かなり細く製作されました。そのため現代のマネキンでは着装がとても難しいそうです。
ダーツは、布地の縫製箇所を増やす作業で、布に傷をつけることになります。したがって、ダーツを上手に隠す場合や、そもそも用いない場合も多いです。ダーツのうち、胸ダーツと後腰ダーツは見えにくく、一番目立つ前腰ダーツよりも多く使われます。また、ダーツが導入される前の1920年代は、着用者の乳房が物理的に入らないとき、アイロンを用いて胸部を盛り上がらせる技術(拔胸腕)が使われました(俞「民国時期伝統旗袍造型結構研究」74~76頁)。
ダーツの例
この旗袍には、腋窩(脇下)から乳房にむかうダーツと、脇腹から乳房にむかうダーツの2種類を確認できます。
次の旗袍には、3種類のダーツを確認できます。
腋窩(脇下)ダーツと脇腹ダーツにくわえ、乳房から真下にもダーツも確認できます。かなりボディコンシャスになりますね。
ダーツの有無
ダーツの入っている服と入っていない服を比べてみます。
まずはダーツ入りの旗袍から。
上の写真では、脇下から胸部へと腹部から胸部への2本のダーツが確認できます。
ダーツによって腹部が引き締まり胸部に膨らみができます。
これに対して、ダーツを使わないチャイナ・ブラウスを見てみます。
この写真のように胸部と腹部がゆったりします。
乳房は強調されず、布は、重力にしたがいながらも、弛み(ゆるみ)をもって下方へ垂れさがります。ダーツは、まさにボディコンシャスを生み出す技術です。
ダーツは、体型・服の種類・シルエットなどによって、2~3箇所に使われることが多く、ダーツの位置・分量・長さ・方向などは、着用者の意向や流行・デザインによってさまざまです。
結論
このページでは、旗袍の洋服化のうち、ボディコンシャス化をかなり促進したダーツに注目しました。
ダーツ以外にも、服を身体にフィットさせる工夫は、身体に添わせてパネルを何枚かつくり、それを組み合わせていく方法もありました。いわゆるパネル切り替え(パネル切替)です。この技術を旗袍にとりいれた事例は、いずれページをあらためて述べたいと思います。
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