袖つけの方法が変わったことは旗袍の洋服化で最も大きな特徴です。
上の記事では、連袖旗袍と接袖旗袍の実物や裁断図や仕組み(構造)をみました。接袖旗袍の方が布をより多くのパーツに裁断していることがわかりました。
また、
この記事では、カンフー映画をもとにして、連袖旗袍には高い運動性があるとわかりました。
着装実験の準備
ここでご紹介する着装実験は、サイト作者のぱおつが2015年6月に主催したものです。atelier leileiが作った2つの旗袍を、勤務先の女性スタッフ2名に着ていただきました。
実験の角度と内容
実験の角度
ふつう、着装実験や官能実験は、筋電計や接触圧測定器などの装置を用いて、多くの被験者から詳細な計測値(弛緩量や被服圧など)を得て、平均値や分布を算出する方法をとります。実験の多くは今後の衣服設計へのデータ提供や方針提案を目的とします。
他方、今回の実験の目的は、連袖と接袖の違いを追尾的に確認・検証することです。データ提供や方針提案を目的とはしていないので、精密な計測装置は使いません。被験者女性のお二人から、着やすさや動きやすさについて生の感想をもらうことを重視しています。
実験の内容
被験者の女性2名が実験衣の旗袍2種を交互に着ます。そして、正常立位姿勢の感想や上肢動作の官能を気楽に・率直に話してもらいます。
実験衣製作者のatelier leileiが前面、背面、両側面の撮影を行ない、ぱおつは上肢の角度などの指示を行ないました。
上肢動作は、だいたい90度、135度、最大可能角度を意識しました。
そして、
- 前(両上肢前方挙上)
- 斜め前(両上肢斜前方挙上)
- 横(両上肢側方挙上)
の3方向に上肢動作をしてもらいました。
結果として、方向間の違いは少なかったです。
また、実験結果に掲げる画像は皺や弛緩がわかりやすいものを選びました。同一主題ごとに上肢動作の方向は統一させています。
なお、実験前に実験衣1・2ともにアイロンで皺や弛緩をなくしました。実験衣1を被験者Aが、実験衣2を被験者Bが先に着用しました。実験衣1・2の着替前にはアイロンを用いていません。
旗袍の製作
旗袍の形態
実験衣製作者はatelier leileiです。
製作には蒋明編著『東方旗袍(一)』(西泠印社出版、2001年)の裁断図と完成画像を参照しました。
実験衣の旗袍2種には、曲線裁断を用いて、緩めのSラインにしています。
そのうえで、
- 民国期型旗袍…連袖、無肩縫、無省道(無ダーツ)
- 現代旗袍…接袖、有肩縫、有省道(有ダーツ)
で設計しています。
旗袍の製作指導書全般にいえることですが、現代旗袍は裁断図にもとづいて容易に製作できます。しかし、民国旗袍は裁断図を参照したり仕組み(構造)をわかるだけでは再現できません。
そこで、実験衣製作者が母(楊桂秀)から教わった技術(中裁)を一部に反映させました。
試作した実験衣2点は、実験衣1が民国期型旗袍で、実験衣2が現代旗袍です。実験衣1は民国期に製作されたものではないので、「民国期型」としました。
実験衣1の民国期型旗袍と実験衣2の現代旗袍
実験衣1の裁断図(民国期型旗袍)
実験衣2の裁断図(現代旗袍)
出典:図5・6ともにatelier leilei作成。
注:図5は①前身頃・後身頃・袖・大襟、②右脇当布、③表領、④裏領。図6は①前身頃、②後身頃、③表領、④裏領、⑤右肩、⑥右袖、⑦左袖。
既述のとおり、実験衣1(民国期型旗袍)にはシルエットの曲線化をほどこし、ダーツ(省道)と肩縫と接袖は用いていません。実験衣2(現代旗袍)にはシルエットの曲線化、省道、肩縫、接袖をほどこしました。
また、袖山から腋窩への直線と袖の外郭との角度は45度にしました。本実験は布の節約を意図しないので、実験衣1・2ともに身頃中心線の継ぎ合わせはありません。
ちなみに、同時代の付属品を使うようにしました。たとえば、民国期型旗袍の立領、大襟、右側面にチャイナボタンをつけました。現代旗袍の立領、大襟、右側面には、立領にチャイナボタン、大襟にスナップ・ボタン、右側面にコンシール・ファスナーを使いました。
旗袍の生地
運動性や着心地が生地に左右されないために、同一生地を用いました(色は違う)。いずれも生地は「綿麻先染コーディネート」で、素材は棉80%、麻20%、布幅は110cmです。
裁断生地のパーツは、実験衣1で4点、実験衣2で7点が必要になります。
民国旗袍が「軽裁剪」(軽裁断)や「中式重縫」(中国式重縫)といわれた理由は、裁断で生じた生地点数が少なく、装飾も含めた縫製作業が多いからです。
過去の現象に迫る方法
過去の現象に迫るには、資料の網羅性にもとづく方法と、利用資料の位置関係をとらえ資料の有効性を高める方法があります。
今回の実験は、連袖と接袖の違いを検証する目的ですので、現代旗袍にもダーツを使わず、連袖と接袖の違いだけで実験した方が説得力があります。
ただし、ダーツは腰から胸部にかけて左右1本ずつですので、ダーツとしては緩いです。接袖旗袍はスリム化とボディコンシャス化の完成といわれますから、そこにダーツを一つ入れただけの窮屈さに留まります。
それでも、接袖だとかなり運動量が減ってしまうことを読者の方々にお伝えできればと思います。
実験衣1・2と被験者の寸法
実験衣1・2の寸法と被験者の身体計測値は表1のとおりです。
表 実験衣1・2の寸法と被験者の身体計測値
仕上がり寸法(cm) | 参考 ヌード寸法 (cm) |
被験者A (cm) |
被験者B (cm) |
||
実験衣1 | 実験衣2 | ||||
サイズ | 11号L | 同左 | 同左 | ― | ― |
身長 | ― | ― | 155.0~160.0 | 158.0 | 161.0 |
バスト | 94.0 | 94.0 | 88.0 | 83.5 | 85.0 |
ウエスト | 85.0 | 78.0 | 73.0 | 68.5 | 71.0 |
ヒップ | 98.0 | 98.0 | 94.0 | 87.0 | 91.0 |
肩幅 | ― | 38.0 | ― | 36.0 | 38.0 |
着丈 | 120.0 | 115.0 | ― | ― | ― |
スリット丈 | 25.0 | 37.0 | ― | ― | ― |
領丈 | 4.5 | 4.5 | ― | ― | ― |
裄丈 | 52.0 | ― | ― | ― | ― |
袖丈 | ― | 31.0 | ― | ― | ― |
袖幅 | 40.0* | 33.0 | ― | ― | ― |
袖口 | 28.0 | 29.0 | ― | ― | ― |
首回り | ― | ― | ― | 34.0 | 33.0 |
腕回り(二の腕) | ― | ― | ― | 27.0 | 27.0 |
arm hole | ― | ― | ― | 39.0 | 45.0 |
出典:atelier leilei作成。
注:着丈は後中心に沿って、後衿刳り中心から裾までの長さ。
注2:実験衣1の袖幅は、腋窩から垂直に肩線(図3の竿)と交差する点までの距離×2。
実験結果にみる民国旗袍と現代旗袍の違い:連袖旗袍のとらえ方
下肢動作
しばしば、民国旗袍(連袖旗袍)は動作に不便だったと述べられます。
昔の中国の繁華街で人力車はよく見られる。しかし、この「車夫」はかなり行動不便な長衫を着て走っている。果たしてこの人は本当の車夫かどうか疑う。カメラマンが用意した道具のように見える。
白云『中国老旗袍』58頁。
この引用は下の写真の左「長衫の車夫(撮影年・場所不詳)」に添えられた文章です。本当の車夫か否かを判断する根拠はありません。また、20世紀前半の路上風景でカメラに笑顔で向かった者は少ないです。この本の著者である白云のいうとおり、人力車を引く人物が本当の車夫かどうか疑わしいです。
しかし、平底の靴、膝上まで開かれたスリット(開衩)、折った立領からは、実際の車夫とも思えます。
いずれにしても、下の写真の右「長衫の車夫(1948年4月・上海)」から、手前の車夫が長衫を着用して満載の木材を運んでいる姿をみた場合に、連袖旗袍が動作しにくいと考えるのは先入観にすぎません。スリットを深く入れて、ボタンを開いておけば、十分に下肢動作ができます。
左)長衫の車夫(撮影年・場所不詳) 右)長衫の車夫(1948年4月・上海)
旗袍のルーツである満族では馬に乗っていた人たちもいたことを想像してみてください。
正常立位時の特徴
上の写真左の車夫が着用している長衫(旗袍)は連袖です。肩や、腋窩から腕や肩にかけて皺がたくさん発生しています。
写真1のように、正常立位の状態でも、平肩連袖には複数の皺と弛緩が発生しました。
写真1 実験衣1(平肩連袖)の肩と腋窩(正常立位時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に被験者A、被験者B。
被験者Aと被験者BではBの肩幅が2cm広く、肩の皺がAより少ないのですが、腋窩から袖山にいたる箇所または胸部下方で、多くの皺と弛緩が発生している点は同じです。
正常立位時に発生するこのような皺を消すことは、民国期ドレス・メーカーたちの大きな課題でした。
伝統的旗袍(民国旗袍;注)の肩と袖はつながっていない、いわゆる着物スリーブのようなものだった。しかし、西洋的要素を取り入れた旗袍は、洋服のように肩につなぐ線が入る。この肩と袖の間にある線は、中国服の欠点を隠すことができる。ここでいう欠点とは、着物スリーブのような形の袖の場合、手を下すと肩あたりに必ず皺が寄ることを意味する。西洋的裁断法を使って肩と袖との間につなぐ線を一本入れると、この皺がなくなってすっきりしたデザインになる。
謝『チャイナドレスの文化史』115頁。
ここで述べられている伝統的旗袍(連袖)の欠点とは、上肢を下した状態(正常立位時)で皺が発生する点です。この欠点は他者からみた観点にもとづいていて、着用者本人の上肢の運動性は考慮されていません。
写真2は、正常立位時の実験衣(斜肩接袖)2の肩と腋窩にみられる皺と弛緩です。
写真2 実験衣2(斜肩接袖)の肩と腋窩(正常立位時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に被験者A、被験者B。
被験者Aの場合、腋窩から両腕に多くの細い皺が発生しています。この服を被験者Bが先に着用し、上肢動作を終えたあとに被験者Aが着用したからです。先に着用した被験者Bの写真は、着用前にアイロンをあてて皺を消す作業をしています。被験者Bの写真には、胸部横と腕に少し皺と弛緩が確認されますが、肩には皺も弛緩も発生していません。この点は被験者Aも同じです。
上肢動作とダメージや着崩れ
ここで写真1の実験衣1に戻ると、アイロンで皺をなくしました。そのあと、まず、被験者Aが着用して上肢動作を行なって、被験者Bが着用しました。体型差はあるが、実験衣1を着用したAの動作後における皺と弛緩の量は、Bの細い皺に反映されています。写真2の実験衣2に比べ実験衣1のダメージは少なく、実験衣1が上肢動作の吸収力に優れていることがわかります。
上肢動作の吸収力は実験衣1と実験衣2で大きく異なります。動作時の外見にも大きな違いが確認されます。写真2の正常立位時には、胸部に施された刺繍はいずれも崩れていませんが、挙上可能最大角度の動作をした次の写真3では、胸部上から首元にかけて大きな弛緩が上方向に生じていて、刺繍がほとんど見えません。
写真3 実験衣2の肩と腋窩(両上肢斜前方挙上、挙上可能最大角度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に被験者A、被験者B。
写真3と写真4を比べます。
写真4では、腋窩から肩にかけて皺が多く発生しました。胸部上から首元への弛緩は明らかに写真3より小さいです。写真3の胸部上の大きな弛緩が写真4では皺に分散していると考えられます。
写真4では被験者A、被験者Bともに立領(たてえり)のチャイナボタン(紐釦)の下側に小さい弛緩が発生していますが、写真3では上側のチャイナボタンもほぼ隠れてます。
写真4 実験衣1の肩と腋窩(両上肢斜前方挙上、挙上可能最大角度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に被験者A、被験者B。
両上肢挙上動作による他の部位への影響
最後に、背中、側面、裾丈の3か所から実験衣1と実験衣2の違いを補足します。
写真5は、ダメージ吸収力で勝る実験衣1を、肩幅、バスト、ウエスト、ヒップで数値の大きい被験者Bが着用し、引きつりを生じやすい実験衣2を比較的体型にゆとりのある被験者Aが着用したものです。
実験衣1では、皺や弛緩が袖、肩、背中に分散し、折れ目になった皺は発生しませんでした。
他方、実験衣2は、背中に大きな弛緩が多数発生し、その大きさは実験衣1より大きかったです。また、腰部の皺や弛緩は実験衣1よりも少なく、折れ目になる皺が両上肢に1か所ずつ、また胸郭の背中側で横一杯に発生しました。
写真5 実験衣1・2の背中(両上肢側方挙上、135度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に実験衣1、実験衣2。順に被験者B、被験者A。
このように、弛緩は実験衣1で分散的でしたが、実験衣2では局所に集中する傾向が強く、袖と背中に引きつりが生じました。実験衣1と2はいずれも、正常立位時に袖口が肘にくるように製作されていますが、上肢動作時の袖の引きつりによって、実験衣2の袖口は実験衣1に比べて、肩方向へ大きく引き寄せられました。これに対して、実験衣1の袖口は肘近くに留まったままでした。
写真6は、前方へ挙上動作をして、どこまで腕を上げられるかを検証したものです。実験衣と被験者の関係は写真5と同じです。
実験衣1の被験者Bは上肢をほぼ真上に上げることができましたが、実験衣2の被験者Aは150度ほど上げるのが限界でした。
また、実験衣1が弛緩にとどまっているのに対して、実験衣2では細かい皺が接袖の後部や背中に複数発生し、引きつりました。なお、実験衣2で前身頃の胸部に刺繍が隠れるほどの大きな弛緩が発生したのは、すでに確認しました。
写真6 実験衣1・2の側面(両上肢前方挙上、挙上可能最大角度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
注:順に実験衣1、実験衣2。順に被験者B、被験者A。
これまでみてきたように、さまざまな上肢動作をつうじて、実験衣1はゆったりした弛緩が広範囲で発生するものの、上肢動作による衣服のずれをそれらの弛緩が吸収しました。
他方、実験衣2では、それら弛緩の一部が極端な皺や折れ目となり、とくに背中や袖に引きつりを生じました。
このような違いは、写真7の示すように、裾の上昇にも影響を与えました。
写真7は裾に注目し、実験衣の正常立位時と両上肢側方挙上の挙上可能最大角度時とを比較したものです。4点とも被験者Aが着たものです。
実験衣1では、上肢動作を行なってもさまざまな箇所で着崩れやダメージが吸収され、裾丈が短くなることは少なかったです。
写真7 実験衣1・2の裾の上昇(正常立位時と両上肢側方挙上・挙上可能最大角度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
この2点が、実験衣1の正常立位時と両上肢側方挙上時の裾の上昇です。
次の2点が、実験衣2の正常立位時と両上肢側方挙上時の裾の上昇です。
実験衣2では、背部に発生する皺や引きつりによって、上肢動作による衣服のずれが吸収されず、裾まで引きずられて上昇しました。
写真7つづき 実験衣1・2の裾の上昇(正常立位時と両上肢側方挙上・挙上可能最大角度時)
出典:いずれも、atelier leilei撮影。
結論:連袖旗袍と接袖旗袍の違いと意義
連袖旗袍と接袖旗袍の違い
実験衣1では腕を下げた状態で大きな皺が発生しました。実験衣2では腕を上げたときに多数の皺が発生しました。
実験衣1(民国期型旗袍)の連袖旗袍がもつ皺の欠点は上肢の運動性を高める長点にもなります。他方、実験衣2(現代旗袍)の接袖旗袍がもつ長点は運動性の低下要因にもなります。
被験者Aは、実験衣1を着用したとき、「これなら寝られる」と述べました。実験衣1と実験衣2の特徴をうまく説明しています。
もっとも、実際に寝衣として実験衣1を着用しても立領が邪魔になりますが、立領を取り除いた場合という仮定のもとで、被験者Aはハワイアン・ドレス、ムームー・ドレスなどを思い出しました。
ハワイアン・ドレスやムームー・ドレスは、胸郭上部と肩の大部分を露出させることで、上肢動作時の肩部分への負担を減少させています。
連袖旗袍と接袖旗袍の意義
これまで考察した違いをまとめます。
1930年代後半頃から、実験衣1のタイプ(連袖旗袍)と実験衣2のタイプ(接袖旗袍)のどちらを着用するかは、着用者自身の選択に委ねられるようになりました。以降、実験衣2タイプの普及によって実験衣1タイプが減少したものの、急減したわけではありませんでした。
接袖旗袍のような現代旗袍の設計理念は、正常立位時における皺の消滅にあり、衣服全体の運動性は考慮されていません。したがって、現代旗袍には半袖や袖無しが多いです。被験者A・Bのお二人とも、実験衣2の着用感想として、「動きにくい」「無理やり(上肢を)動かすと破れそう」と述べていました。
ですから、接袖旗袍が着られる場面は、動作の少ない特定場面や特定人物にかぎられてきました。だいたい、イベント時の正装やホテルの案内役やレストランのウェイトレスなどです。
民族衣装が催事用・サービス業用に利用された方向性は、農業労働向けでもなく工業労働向けでもなく、運動性をかなり低下させた商業労働の方向にあったわけです。
なお、接袖に運動性をもたせるためには、アームホールを大きく設計することがありますが、運動着にはこの方法よりも連袖が多く採用されています。
たとえば格闘技用上衣では、柔道着や合気道着は平肩連袖、空手着や居合道着は縫目のある連袖(つまり平肩接袖)です。
補足:ラグラン・スリーブ
また、バレー・ボールのユニフォームには袖無しが多く使われ、袖のある場合はラグラン・スリーブ(插肩袖または連肩袖、raglan sleeve)が採用されています。
ラグラン・スリーブは、肩と袖が一枚の布で連なり、身頃とは別に裁断されたものです。この袖を利用した衣服にベトナムの民族衣装アオザイ(奥黛、Áo dài)がよく知られています。
ラグラン・スリーブまたはセミラグラン・スリーブ(semi-raglan sleeve)と接袖(セットイン・スリーブ、set-in sleeve)にみられる設計上の違いは、前項で述べたような挙上可能最大角度の違いに反映されます。そして、次のような結果が知られています。
セミ・ラグラン・スリーブでは肩先に局在的に加えたゆとりが肩部での変化を吸収し、他の部位への影響が少なく最大動作が可能となっている。(中略)普通袖(接袖;注)では肩先でのゆとりが少なく、肩先での人体の変化を袖や身頃のずれで補おうとしているが、補いきれずに最大動作は不可能
間壁治子、百田裕子、河合伸子「上肢帯部の動きと衣服パターンとの関連について」『繊維製品消費科学会誌』第29巻8号、1988年、39頁。
皺のネットワーク
ところで、近代日本人が勘違いしたようには、皺を発生させないことが西洋服の美的基準であったとは、必ずしもいえないことが知られています。男性スーツの例ですが、アン・ホランダーは1857年のイギリスで土木技師が着用するスーツに皺が無数に存在する画像をとりあげ、スーツの安定性と柔軟性を示す二つの対極的な方向として、皺の無さと「しわのネットワーク」を指摘しています( ホランダー『性とスーツ』177頁)。
なお、皺にたいして、プリーツやギャザーという方法は、皺をつける作業だと思っていたのですが、懇意にしていただいている衣服史の先生から「次元が違う」と指摘され、我に返りました。プリーツ・ギャザーは、装飾の要素が強く、物理的な物としての皺とは違います。
最後に
これまでも、袖がつくこと(接袖)で衣服の動作範囲が大きく制限されることは知られていました。
そのため、しばしば、仕事着の上衣の名前に袖の名前が用いられることがありました。
また、上肢動作による体幹、肩甲骨、脊柱、骨盤などへの影響を考察した研究や、袖付や肩傾斜と腕の関係に着目した、接袖(セットイン・スリーブ)とラグラン・スリーブの比較実験や考察も多くなされてきました。
しかし、連袖の動作研究は少ないのです。
このページでは、1970年代以降に急増した比較実験の結果を歴史的な状況に置きなおして、袖の発生方法の変化や意義を考察しました。
戦前期の着用者から感想を引き出すことは、すでに難しい時期にきています。さらに、刊行された図録の画像資料からえられる情報は、前面から写された静態にかたより、連袖旗袍(民国旗袍)と接袖旗袍(現代旗袍)の違いを動態から知ることは難しく、側面と背面についても同じです。
このような難しい状況にくわえ、衣服という現物をあつかう研究が細分化されたため、一つの衣服だけでも多角的にとらえることは困難になっています。
このページが、研究上の隙間を埋めることを願います。
謝辞
疲労度の高い上肢動作を中心とした着装実験に快く協力して下さった被験者2名の方々、および実験衣製作者でもあり撮影者でもあるatelier leileiに感謝します。
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