このページでは、旗袍と洋服(仏服)からつよい影響を受けたベトナムの民族衣装アオザイの特徴と歴史を紹介しています。
- アオザイの意味
- アオザイの構造・構成
- アオザイと旗袍の同異
- アオザイの歴史と変化
このあたりを中心にお話しします。
結論を急ぐ方は次をお読みください。
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アオザイ(aodai)とはヴェトナム(ベトナム)の民族衣装でスリットの高く入った「長いドレス」のことです。
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アオ(襖、ao)はドレス(着物)、ザイ(dai)は「長い」の意味で、女性用がとくに有名です。
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今のアオザイは内側にズボンを穿くツーピースを想定しています。
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アオザイは清朝期旗袍の影響を強く受けた衣装です。20世紀に入ってからフランスの裁縫技術を導入して今にいたります。
アオザイの意味
ベトナムの民族衣装アオザイは、ベトナムや中国京族居住地域で着用されてきた丈の長い上衣の一つです。つまり長着です。
下衣のズボン(クアン)を併用することが多く、上下一式(ツーピース)で「クアン・アオ」といいます。清代旗袍を転用していることから、中国語では越式旗袍ともいいます。
ベトナム系のウェブサイトでは清代旗袍からの影響を無視する傾向があります。
古代を述べて、中世や近代を無視して、とつぜんフランス統治時代に飛んで、今にいたるパターンです。たとえば「アオザイの維持と保存」。
フラットにみるために、次の指摘を引用します。
18世紀に当時の王様が中国的みやび、優雅さをよしと考えた王様がいまして、中国的な服装を導入しようというので入れたのが、今、アオザイと称されている着物の起源であります。(中略)しかし、今のベトナムの人に、アオザイはチャイナドレスみたいだなどと言いますと、いかに中国服とアオザイは違うのかというお説教を何時間も聞かされることになります。このアオザイも、ベトナム的な中国文化の受容の仕方だったというふうに申し上げていいかと思います。古田元夫「ベトナムの過去・現在・未来」(『青山学院女子短期大学総合文化研究所年報』第8号、2000年12月)(146-147頁)
アオザイの構造・構成
アオザイにも立領(チャイナカラー)、大襟、チャイナボタン、スリットがあり、旗袍の構成要素を備えています。
このうち、大襟は後ファスナーに代替されることがあり、ボタンは飾りだけや省略されることがあります。
こういうわけで、いまは立領とスリットがアオザイの大きな特徴になっています。この点も旗袍(チャイナドレス)と似ています。
また、アオザイにもパイピングを施すことがほとんどです。
旗袍との違いは、パイピングを服の色と同じにするのがアオザイ、別物にするのが旗袍です。
ですから、旗袍のほうがパイピングが目立ち、アオザイは目立ちません。
ボタンに手間がかかるので、レディメイドではよく省略されます。
アオザイがオーダーメイドを基本にするとの説はウィキペディアの先入観です。産業化していない段階では、どんな衣服でもレディメイドできずオーダーメイドになりますから。産業化したあとにオーダーメイドとレディメイドのどちらが基本化を考えないと、ただのシッタカです。ファッション史研究にもあるあるの先入観です。
アオザイと旗袍の同異
アオザイと旗袍が同じところ
アオザイも旗袍も構成要素は同じです。
- 立領(チャイナボタン)
- 大襟
- チャイナボタン
- スリット
旗袍のスリットもアオザイのスリットも、だいたい両側にあります。
旗袍と同じようにアオザイも、大襟が双圓襟(八字襟や一字襟)になることがあります。
1960年ころに導入されたラグラン・スリーブが双圓襟に見えるときがあって、アオザイの歴史で面白い点です。
最近、旗袍には大襟とチャイナボタンが飾りだけになって、横ファスナーや後ファスナーで着脱するものがあります。後ファスナーだと立領の後を割らなければなりません。
アオザイはラグラン・スリーブの関係から大襟に双圓襟をよく使いました。旗袍の大襟と同じく飾りだけになったり、チャイナボタンを使わないものもあります。
横ファスナーや後ファスナーで着脱するものが増えたことも旗袍と同じです。
アオザイと旗袍が違うところ
組み合わせ
20世紀以降にかぎっていえば、アオザイと旗袍が違う点は組み合わせです。アオザイは内側にズボンを穿きますが、旗袍は穿きません。
言いかえれば、アオザイはツーピースを想定し、旗袍はワンピースを想定しています。
清代旗袍は内側にズボンを穿きました。
これをアオザイが模倣したのですから、当然の循環。民国期に旗袍がズボンを放棄したということです。
袖つけ・スリーブのあり方
もう一つ。
アオザイの袖はラグラン・スリーブがほとんどですが、旗袍の袖は連袖か接袖です。西洋化した袖は接袖の方。
アオザイの歴史と変化
アオザイの歴史は、おおまかに次のとおりです。
- 清代旗袍がベース
- 20世紀前半からフランスから裁縫技術を導入
- 1930年代、1960年代・1970年代、1990年代の3段階で変化
以下ではおもに、Duong Thi Kim Duc & Mingxin Baoの論文に依拠します。
19世紀までのアオザイ
アオザイはグエン王朝期に清朝官人の朝服(旗袍)を簡略化したのが始まりといわれます。
旗袍がズボンを併用したのにたいし、長い間、アオザイはスカートを併用してきました。フランス植民地時代 (1887~1954年)に西洋裁縫が浸透する過程でスカートからズボンへ変わりました。
20世紀アオザイの変貌
1884年に中国とフランスが行なった戦争(清仏戦争)後、天津条約(1885年6月)が結ばれました。ベトナムは清朝に対して朝貢国としての機能を失い、フランスに帰属することとなりました。
この後、とくに安南地方のベトナム統治都市部ではアオザイに西洋要素が入っていきます。あるある話で、他の地方では西洋化が遅れました。
第1の画期―ダーツの導入―
1930年代になると数名のアオザイ・デザイナーたちが新聞にとりあげられるようになりました。デザイナーたちに画家(イラストレーター)兼業の人たちが多くいました。
この頃、腰ダーツや胸ダーツが導入されました。
1930年代でも多くのアオザイが前後4枚から構成されていました。
その頃、前後1枚ずつ合計2枚に簡素化させた作品をグエン・カット・トゥオンがデザインし、今にいたります。
アオザイのデザイナーたちの衣服設計の方向は旗袍デザイナーたちと同じ。
アオザイのウエストを細くし、身体に密着させ立体的にみせました。つまり、スリム化とボディ・コンシャス化です。
もう一つ、コーディネートの方向に、タイトなアオザイに似合うブラジャーやコルセット、そしてハイヒール・シューズの導入がありました。
第2の画期―ラグラン・スリーブの導入―
次の画期は1960年代・1970年代です。
サイゴン経由の米国文化の流入が発端とされます。
この時期にアオザイは領と袖が変わりました。
立領では変形(半月型など)や消滅(代わりにネックレスの利用)が生じました。袖には半袖(と手袋の組み合わせ)が普及しました。
1940年代からベトナム戦争終結までのアオザイはイベントに着るくらいに減少しました。立領や袖の変化は流行に留まる程度でした。
むしろ、形態上の変化で本質的だったのがラグラン・スリーブです。アオザイにラグラン・スリーブが導入されたのは1958年から1960年代にかけてです。
ラグラン・スリーブとは肩と袖を一枚の布で発生させる技術や袖のことです。
西洋裁縫技術の典型的な導入例といえます。
ラグラン・スリーブの導入経緯ははっきりとしています。
ホーチミン市ダカオでドゥン・テーラー(Dung Tailors)を営業していたフランス留学者のドゥン氏が考えました。
これまで連袖ゆえに腋窩あたりや肩あたりに発生していた皺が消えました。
ラグラン・スリーブのアオザイは生地が少なくて済み、脇下に皺がよらず腕の動きが大きくなります。
脇下の皺が減って腕の動きが大きくなるという捉え方はイマイチ。
連袖も腕の運動性が高いです。
ラグラン・スリーブは腋窩の下から胸部(乳房)への皺を消すことはできますが、腋窩から肩や袖へ発生する皺を消すことは無理です。
なお、腋窩や肩に発生する皺を消去する展開は旗袍にもみられました。
もとい、1960年頃のシルエットとして「細身」を挙げる文献もありますが、1930年代からの継続または再来です。
第3の画期―国際化―
3番目の画期は1986年末に導入されたドイモイ政策以降。
デザイナーたちが国内外でファッション・ショーを開催し、アオザイが広く知られるようになりました。
このような画期に一つの段階を補足します。
1975年4月30日のサイゴン陥落後、民族衣装の再認識期間がありました。
この過程でベトナム女性のアオザイをベトナムの象徴とし、国内方針として北部・中部・南部を統合するプロパガンダとしてアオザイは注目されていきます。
ここでアオザイは民族衣装として確立しました。
中国の文化大革命が国内政策に注視しすぎるあまり旗袍を排他的に扱ったことと対照的です。
現代アオザイ
現代アオザイは、ダーツが胸・前身頃・後身頃に施されることがあります。
2000年ころのアオザイには接袖(セットイン・スリーブ)を採用するものも増えました。
アオザイもまた旗袍や和服と同じくスリム化とボディ・コンシャス化に向かいましたが、アオザイが独特なのは下半身部分の構造です。
腰まで深く入ったスリットによって尾っぽ状態になった前後身頃にかなりゆとりがあります。
冒頭にふれたようにクアン・アオとして上下で着用されることがほとんどで、クアンはAラインの構造をもっていてアオザイのゆとりを活かします。
ファッションの歴史からみたアオザイの位置
そもそも、東アジアの民族衣装は20世紀前半に大きな変容をとげ、いずれも洋服になりました。
このなかで世界的にひろく知られ、もっとも普及していったのが旗袍ですが、1980年頃から着用者は減少し、イベント用・サービス業用(以下、商業用)へ特化されていきました。
この点、1960年代・1970年代に着用者が急減したアオザイも似ています。
中国は改革開放政策で西洋資本主義を導入し、ベトナムも革新開放制作から西洋化を進みました。これをうけて、服飾に変化があらわれて衣装の洋服化が展開しました。
ただ、アオザイは20世紀末に商業用以外で普段着や学生服として一時的に復興しました。
しばらくの間だけでしたが、2000年代まで、クアン・アオを着てバイクや自転車に乗る情景がありました。旗袍も制服化(ユニフォーム化)で凌いだ面があります。
さて、2020年ころから日本ではチャイナドレスに代わってアオザイの人気が高まっています。
2010年代にチャイナドレスのコスプレが露出系に偏ったことから、隠蔽の美学としてアオザイが注目されています。
インスタグラムのアオザイ写真のコメントをみていると、見る側が露出に飽きて、ズボンで隠された脚を妄想して楽しむことへ移ったようです。
旗袍の露出にストッキングを合わせていれば、チャイナドレスはアオザイにもう少しコスプレで張りあえた気がします。単純露出が災いしたか…。
露出系に飽きた日本人、アオザイに目覚めたといったところです。他方で旗袍も一部で露出系じゃないレトロなものを好む人が増えました。
アオザイの流行ポイントとデザイン・ポイント
アオザイの流行ポイント
アオザイの流行ポイントは4点あります。
- 丈の長さ
- スリットの高さ
- 領の高さ
- クワンの裾幅
クワンをフランス製の絹織物からつくる高級品もありますが、ふつう国産の絹サテンでつくるので丸洗いができます。また麻が使われることも多いです。
1960年代から、薄いクワンを穿いて下のショーツ(パンティ)を透かせてセクシーに見せたり、クワンが落ちないようにブラジャーへ繋ぎ止めたりするファッションが登場。
21世紀になってから白以外のクワンを穿く人が増えました。
アオザイのデザイン・ポイント
あえて旗袍とアオザイを対照的にとらえると、デザイン・ポイントが見えてきます。
肩のライン
旗袍は肩のラインが水平に近いため肩幅の広い人ににあいます。アオザイは肩のラインが斜め下へ落ちるため、肩幅の狭い人ににあいます。
ノースリーブだと…
旗袍にもアオザイにもノースリーブ(スリーブレス/袖なし)があります。
旗袍ですと肩が覆われたままですが、ラグラン・スリーブのアオザイですと、首だけで身頃を支えることになり、肩と首元がかなり露出します。
ブローチかネックレスか
このため、ノースリーブのアオザイを着るとき紐を首に結ぶか襟だけで留める(アメリカン・スリーブ)か、どちらかの方法をよく採用します。アクセサリーからみると、旗袍にはブローチ、アオザイにはネックレスがにあいます。
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