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装いの上海モダン:妻は自作の1930年代風旗袍で

旗袍ニュース
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2017年11月24日(金曜日)の日記です。

妻と一緒に、兵庫県西宮市にある関西学院大学博物館へ「装いの上海モダン 近代中国女性の服飾」を見に行ってきました(2017年10月28日~2017年12月16日)。

妻は自作の1930年代風旗袍で。ただし、寒いので二人ともコートのまま撮影。

装いの上海モダン:近代中国女性の服飾。関西学院大学博物館にて、2017年11月24日撮影。

装いの上海モダン:近代中国女性の服飾。関西学院大学博物館にて、2017年11月24日撮影。

装いの上海モダン:近代中国女性の服飾

この展覧会は、広岡今日子さんが1987年から集めはじめた旗袍の一部を公開したものです。

収集された旗袍は100点を超えるとのこと。

今日から展示替えで、一昨日までの展示は見ていませんでした。

展示数は30点ほどで少ないのですが、コンパクトにまとめられていて、旗袍(チーパオ)の時期的な変化が分かりやすかったです。

装いの上海モダン:近代中国女性の服飾。関西学院大学博物館にて、2017年11月24日撮影。

カタログ『装いの上海モダン―近代中国女性の服飾―』をみると、チャイナドレスという言葉には「もやっとした気分」(同書4頁)になるとのこと、半ば同感です(私の場合、残りの半ばは諦め)。

チャイナドレスといわれる今ほどは、タイトでもボディコンシャスでもなかった旗袍が、1920年代から1940年代にかけて、洋裁技術や洋服部分をとりいれて、中国風裁縫(中裁)と洋裁を融合させていった過程が、この展覧会で確認できました。

タイトでボディコンシャスではなかった旗袍とはいっても、1920年代から1940年代にかけての旗袍は、生地だけでなく形態にもいろんな姿を見せてくれました。

装いの上海モダン:近代中国女性の服飾。2017年11月24日撮影。

チラシの裏には、近代旗袍が

1920年代から30年代に全盛期を迎えた新しい服装であり、当初は日常着としても着用したため、多くの人が想像する「チャイナドレス」とは異なる実用にかなったもの

チラシ裏

記されています。

歴史を勉強していると意外に遠いと感じる戦前。

1920年代や1930年代の服装がどのようなものだったのか、正確にはわかりません。

ドラマで見てもどこまで正確なのか、判断の基準すらわかりません。

「新・上海グランド」は1930年代上海の外灘地域を描いたものですが、くわしく旗袍を勉強すると、ここに描かれているドレス類がことごとく現代のものだとわかってきます。

そういう点から、やはり展覧会に足を運ぶことがいいと思いました。

近代上海のドラマや映画を時代考証するのは、ともて楽しく勉強になりますので、ファッション史のお好きな方にはお勧めです。

展覧会でわかったこと

今回の展覧会でわかったことを年代で分けると、次のようになります。

1920年代

  • 1910年代とはちがい、胴体部分(身頃)の真ん中に切り込み・縫い込みがなくなっていた。織物幅が従来の48センチ程から100センチ程に増えた、つまり、生地の横幅が2倍になった。
  • スリットのない旗袍が一部に存在した(ふつう、旗袍史関係の本では≪スリットが短かった≫と言われます)。このスリットのない旗袍には、下半身の運動性を少しだけ確保するために、腰から下はAライン。
  • すでにスナップが使われていた。

1930年代

  • 1つの展示品には、スリットが短いまま、パイピングを施してスリットが長いように見せる工夫が確認された。

これは黄金比を使った効果を狙ったもので、後代にはスリット自体を深くして、現代にいたります。

1940年代

  • 立領(たてえり)に丸みをもたせるために、前部に左右2か所ずつ織り込む工夫があった。
  • ダーツを施した展示品があった。

1910年代から1940年代

  • 立領のみを販売することがあった。つまり、取り換えできた。

解説には既製品用とありましたが、その可能性にくわえ、付け替え用に販売された可能性もあったと私は考えます。

衛生観念が東アジアに浸透した結果です。日本でも20世紀になってから半襟の重要性が増していきました。

展覧会の感想

旗袍史の研究は中国、香港、台湾、日本その他いろんな地域で進められてきました。

展示品からは、それら先行諸研究を凝縮させた上で、かなり点数を絞り込んで厳選したように感じました。珍しくメリハリのある旗袍史を堪能できます。

博物館内で配布されている資料リストには、細かいけど大切な注意点が書かれています。

材質欄には(中略)絹織物のうち、無地の繻子織をサテンとし、起毛したものをベルベットと分類した。それ以外のものは、シルクと記した。(博物館内配布資料リストより)

ふつう、ファッション史分野では素人もどきの研究者たちが知ったかぶりをして、シルクをサテンやベルベットなどと同類とみなす間違いをよく犯しています。

しかし、この展覧会はシルク(絹織物系)をウール(毛織物系)やコットン(綿織物系)と同列に扱い、シルクの下位項目にサテンやベルベットを置いていました。正しい認識です。

先行諸研究によれば、1920年代から清朝期旗袍の転換が激しさをまし、1940年代に中式と西式(洋裁)とが百花繚乱風に凝縮していくわけですが、中国大陸で規制の厳しくなった1960年頃には、むしろ香港が旗袍の華やかな舞台となりました。

従来の研究では、1920年代から1930年代にいたる旗袍を「海派」と「京派」に分ける(上海と北京)傾向があり、かなり猿真似状態になっています。

港派旗袍

しかし、この展覧会カタログからは、1950年代の香港における旗袍の流行を「港派」と名づけて(同上書カタログ7頁)、メリハリを付けた点が面白いと感じました。

港派、つまり1960年代香港の旗袍は、ウォン・カーウァイ監督の映画「花様年華」に十二分に披露されていますので、下記の記事もあわせてご覧ください。

また、次の記事では、20世紀香港の旗袍を時系列にたどっています。

関連リンク

ついでに紅葉撮影

めったに関学にまで来ることがないので、二人で紅葉撮影。

妻はアーチ風に木を入れてフレームに。

紅葉 Momiji – Autumn leaves by Leilei @ Kuwansei-gakuin

私は妻のアドバイスで窓を意識して。

紅葉 Momiji – Autumn leaves by Shinichi @ Kuwansei-gakuin

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この記事の著者
ぱおつ

旗袍好きの夫婦で運営しています。ぱおつは夫婦の融合キャラ。
夫はファッション歴史家、妻はファッションデザイナー。
2018年問題で夫の仕事が激減し、空きまくった時間を旗袍ラブと旗袍愛好者ラブに注いでいます。調査と執筆を夫、序言と旗袍提供を妻が担当。

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