このチャイナ服(きっと旗袍)のイラストは鄭曼陀の描いた、濱江徳記茶店というお茶会社のポスターです。
鄭曼陀(郑曼陀)は擦筆水彩画法を用いたイラストをたくさん描いて、民国初期に活躍しました。
濱江徳記茶店(滨江德记茶店)
濱江徳記茶店は、中国東部に広く展開していたお茶のブランドで、直営販売店、代理販売店、製茶工場をもっていたようです。
直営販売店は遼寧省大連市に3店舗、浙江省杭州市に1店舗と推測。製茶工場は杭州市、福建省(南台太平港)、蘇州に1つずつ。販売代理店らしき店は、天津、山東省煙台、営口、済南に1店ずつ。
濱江徳記茶店(鄭曼陀)の広告ポスターにみる旗袍
このポスターには旗袍らしき衣服を着た女性が二人描かれています。1920年代末ころの流行でしょうか、髪を後ろにまとめて、真ん中だけ前に少し垂らしています。
この髪型から、昨日に紹介した「林文烟カレンダー・ポスターのブラウス(1927年)」を思い出します。
かなり似たイラストなので、今回ご紹介するのも謝之光が描いたイラストかと思いきや、今回のは鄭曼陀です。
さて、二人の女子の衣服ですが、これも昨日と同じく難しいです。
左の女子
左の女子の上衣は白黒のベストに黄色地のAライン大袖、下衣は同じく黄色地のスカート。衣服のラインにズレがないので、ベストと袖とスカートは全て繋がっているように見えます。
とすると、これは旗袍です。ただ、スカート部分の横がちょうどみえないので、確信はもてません。1920年代半ばって、こういうフェイント旗袍が多いんですよね…!
立領と大襟に黄色のチャイナボタンが一つずつあります。スカート部分にフレアを入れているのが斬新です。袖とベストが縫合されているなら、これは平肩接袖になります。当時は流行りだったようですが、1930年代には減っったような…。
パイピングは、袖口に黒のレースっぽいもの、スカート部分の裾に黒のレースをかなり太めに施しています。
右の女子
右の女子はもう少し簡単。
縫合らしき痕跡が腹部にありますが、同じ白黒の生地で上衣と下衣を縫い合わせています。Aライン大袖を上衣に縫い合わせているかは確信がありませんが、やはり衣服のラインの凸凹がないことからすると、縫合したかと…。
立領と大襟に黒色のチャイナボタンがありそうですが、あまりはっきりしません。
パイピングは、左の女子と同じく、袖口に黒のレースっぽいものをつけています。裾は白黒のスカラップ。
頭と足
二人とも、ヘアスタイルは先に述べたとおりです。髪を後ろにまとめて、真ん中だけ、前に少し垂らしています。
二人の靴も似ています。先が尖り気味、ストラップが付いたローヒールのパンプスです。
白雲『中国老旗袍』では次のように説明されています。
「1920年代には旗袍のスタイルと生地の両方がかなり変更されました。風合いは柔らかくクリアになり、柄のバラエティに富んでいます。大袖に風が入り込んで涼しそうです。また、全体的なコロケーションに注意を払っています。たとえば、足元の靴のパターンも衣服と調和しています」(白雲『中国老旗袍 : 老照片老広告見証旗袍的演変』光明日報出版社、北京、2006年、99頁)。
言われてみれば、二人の靴のストラップやテープは白黒ベースで、旗袍のパイピングや生地柄に合わせてありますね。
ちょっとした謎
1枚目に紹介した広告ポスター(スキャン元は絵葉書)には画家の署名がありません。2枚目に紹介したイラストには「曼陀」と刻印があります。署名と捺印の前後に、2種のオリジナルが出回ったということでしょうか。
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